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書評:田中明彦『新しい中世』

国際政治学における理論の先にあるもの

本日ご紹介するのは、田中明彦『新しい中世』という著作。

本著は、単行本の初版が発売されたのが冷戦終了後すぐの1996年のことであり、現在の文庫版は2017年の発売ながら、基本的にはほとんど1996年当時の内容のまま出版されている。

私自身はちょうど1996年から大学生になったこともあり、単行本版を当時学業の一環として読んだのだが、国際政治学における基本的な理論に明るくなかったため、当時は内容を充分に咀嚼できなかった。

そんな経験もあるため、本著のように文庫化の折りなどに再読することは、やはり学びが多いなと今回も感じた次第である。

ところで、国際政治学という学問分野においては、理論構築重視のスタイルの学者と、現実分析重視のスタイルの学者が見られる。

どちらも同様に重要な研究スタイルであることは繰り返し強調べきことであるとして、田中先生のスタイルは、目的においては現実分析を重視、手段においては様々な理論の積極的な活用を重視と、両スタイルが目的と手段の関係として結び付いている立論が特徴的で、言わば両スタイルの中庸を行くバランスに読み応えの1つがあると言えよう。

さて、本著について。

本著は、執筆された1996年という時点において、「冷戦期という時代の特徴は何だったのか」を分析し、そこから「冷戦後という時代は如何なる特徴を備えていくか」を紡ぎ出すことをテーマとした著作である。

まず、冷戦期という時代の特徴分析においては、

◯超大国の勢力均衡(パワーバランス)の側面
◯自由主義と社会主義のイデオロギー対決の側面
◯アメリカの影響力の増大と衰退に見られる覇権理論の側面
◯経済発展をベースとした相互依存の側面
◯国連を代表とする各種協調を目指す国際レジームの側面

等々、異なる切り口の理論的枠組みを活用しながら現実にその実証を求めていくことで、それらが複合的に存在した時代であったと特徴付けられる。

そしてそれを受けた冷戦後の世界の未来予測では、上記の冷戦期の各特徴が冷戦の終了期にそれぞれどのように変遷したかを丹念に辿ることで、未来世界の特徴を紡ぎ出していく。

本著が結論的に提示する冷戦後の世界の特徴は、タイトルでもある「新しい中世」というコンセプトである。

ここでいう「中世」とは、ヨーロッパ中世のことを指している。
つまり、冷戦後の世界はいくつかの側面において中世ヨーロッパが備えた特徴を備えていく世界になるのではないか、というのが本著の主張だ。

これは、時代的特徴が近代以前に逆行・退化していくというイメージでは決してなく、ヨーロッパ中世の特徴のいくつかが現代に再登場してくる、というニュアンスである。
故に冷戦後の世界は当然ヨーロッパ中世には見られなかった特徴も同時に備えていくことになる。

有体に言えば、「冷戦後の世界はヨーロッパ中世に似ている部分もあれば似ていない部分もある」という言い方が、より主張の実態に近い記述になるのであろうが、敢えてヨーロッパ中世に似るという特徴を前面に強調したのは何故であろうか。

それは、当該特徴から将来の事象予測をより具体的なシナリオとして導き出すことができるからであり、そして我々(例えば日本という国家)はどうすべきかという「べき論」の展開も可能になるからである。

さて「新しい中世」と呼ばれる冷戦後世界の特徴についてであるが、大きく、

◯非国家主体の重要度の増加
→ヨーロッパ中世の多元的社会との類似へ
◯イデオロギー対立の終焉
→ヨーロッパ中世のカトリック普遍的価値観との類似へ

という2つの点を著者は重視する。

しかし、世界の時代的特徴といっても、世界全体が均質に同様の特徴を備える状態をイメージするわけでは決してなく、強いて共通的との見方を挙げるならば、「新しい中世的な世界に向かっていく「傾向」が世界中で確認されていく」という主張だと言えるだろうか。

さて、冒頭でも触れたように、本著は20年以上前に書かれた著作である。
であるが故に、現在の時点から本著の未来予測の妥当性を読者はある程度検証することができる。

その視点で僭越ながら私なりに評価させていただくとするならば、お世辞や追従抜きに、現代の趨勢を的確に捉えていると共に、これから先も充分に有効な予測の枠組みを提供してくれている著作だと感じられた。

決して古くない著作としてオススメしたい。

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さて、ここからは少し話題を変えたい。
少々毒を吐くテイストになるが、ご海容いただければ幸いである。

本著の説得力について、田中先生の力量の成せる技であることは言うまでもないことであるが、ただ個人の力量のみに還元するに留まらず、より汎用的な理由について私なりに考えたことがある。

それは、「様々な理論的分析枠組みを踏襲することで、可能未来を複数のシナリオとして想定している」という点である。

未来予測とそれに備えた対応を議論するに際しては、現実化する可能性がある程度高いシナリオを漏れなく網羅的に洗い出し、シナリオ毎に対応を検討するという立論が、有効かつ大切だと常々思う。

本著の未来予測の場合、例えば中国の動向について、

◯中国がAという方向に向かうならば、日本はこう対処すべき
◯中国がBという方向に向かうならば、日本はこう対処すべき
◯中国がCという方向に向かうならば・・・

というように、複数のシナリオが可能性として想定され、提示されている。

そして、こうした現実性の高いシナリオを複数想定するに際しては、体系的な実証研究がなされた学術的な「理論」をフルに活用することが、非常に有効である。
つまり、「理論」を大切にすることで、荒唐無稽なシナリオを排除しつつ、現実性の高いシナリオを漏れなく想定できる確度が高まるということだ。

ここで、人によっては「有り得そうな予測をいくつも提示したら、そりゃどれかは当たる可能性が高くなるだろう」と感じるかもしれない。

私に言わせていただくならば、それでいいのだ。
いや、そうあるべきだと私は思う。

現在のコロナ禍において、SNSは言うまでもなく、結構な売れっ子の言論人のものですら、「断定的」「断言的」な主張が目立つと感じることはないだろうか。

言わば、シナリオを1つに決め切ってしまっている主張の氾濫だ。

未来予測、特にリスクや危機の局面における「べき論」を立論するに当たっては本来、両極に「最楽観シナリオ」と「最悲観シナリオ」を配しつつ、時間や人などのリソースが許す限り多くの中間シナリオを想定し、対応を検討することが求められる。
未知で、未曾有なのだから、間違いないであろう1つのシナリオなど、主張できるはずもないし、すべきではないのだ。

昨今の言論スタイルの傾向についても、他者の主張の否定の上に持論を展開する「討論型」のスタイルが目立つことが非常に気になる。
他者の主張もシナリオの可能性の1つとして認めつつ、持論をまた別のシナリオとして提示していくような、「対話型」「協調型」のスタイルで色んな知恵や考えが力を合わせていく必要がある、少なくとも今はそうすべき局面だと私は思う。

危機の局面における日本人の議論リテラシーが、喧々諤々とした討論しかできないままでは、コロナ禍でもそうであるしこれから先の危機においても、常に総倒れの瀬戸際で足掻くような対処しかできない国であり続けてしまうのではないか、という恐怖を感じる。

最後は「危機の局面における議論のリテラシー」という別の話を書いたが、この話と「複数シナリオ志向」には密接な関係があり、そして「複数シナリオ志向」の獲得には学術的な取り組みが大変有効な知的訓練になるものだと私は思っている。

読了難易度:★★☆☆☆
冷戦分析の多角度:★★★★★
冷戦後世界の未来予測アプローチのロールモデル度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★★★

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