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第32話.さあ、ゆくぞ!

1969年


「ジムニーに対抗できる車の絵を描いてくれ」と研究所所長から頼まれ、急いでOさんと二人で描き上げた十数枚の絵が、ところ狭ましと、応接室の壁面に貼られていた。所長に「きみらの自薦を一枚ずつ選んでみてよ」と言われ、二人ともフルオープンの4座で、リヤシート折り畳みの荷台スペース付きのものを選ぶ。
所長は2枚の絵を見て、「O君の、前にタイヤがむき出しで付いているアイデアは面白いね。これをきみの絵に入れて仕上げてくれよ」と、私に言って部屋を出て行かれた。「本当につくる気なのかな」とふたりで顔を見合わす。そして、Oさんも「後は頼むよ」と部屋を後に。
ある程度サイドビューが見えてきたところで所長は、車体設計のベテラン
Tさんを連れてやってきた。設計上や法規上の課題を指摘される。まずドアがないのは許すとして、このままでは人が転がり落ちるからと、ドア部に閂(かんぬき)のような棒を付けることにし、雨の日に困ると言うので幌も付けることにした。
灯火器類を新作すると認定を受けるのに時間がかかる。車を早くものにする
には、これらすべてを「有りもの」でやることになり、絵を描き直すことになった。それでも、声がかかってから3日くらいで絵が仕上がった。絵はTさんが持って行ったまま、音沙汰なく何日かが過ぎた。
1ヶ月くらい経ってTさんが現れ、「おい、組立に行ってみないか」と言う。うしろからついて行って、組立室に入った途端、目を疑った。このまえ描いた1/5のサイドビューのスケッチがそのまま実物になって置いてある。「いつ、どこで」と思わず聞いてしまった。Tさんが得意げに、あのあとの顛末を話してくれた。
戦略的意味合いが強くあって、秘密裏に作業が進められ、「お前のスケッチと俺のポンチ絵(寸法入りの簡単な説明図)で、朝霞にあるS車体という町工場ででっち上げたんだ」と言う。
あとで聞いた話だが、研究員集会(この頃、私はまだ研究員ではなかったので参加できず)で、藤澤副社長から「何かやりたいことがあったら言ってみろ」と言われて、Tさんが「こういうのを、やりたい」と言うと、「じゃあ、やって見ろ」になったのだそうだ。また、乗せられてしまった。
その後一年も経たずして、この車が量産され街を走ることになる。その名も「バモス」。ラテン語で「前進」とか「さあ、ゆくぞ」という意味のようだ。ものすごい会社の「ど真ん中」にいる、そんな実感があった。

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