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知らなかった「沖縄の新聞」

「メディアが偏っているのか 『基地』が偏っているのか」

今回の授業の中では、琉球新報のデジタル推進局長の 滝本匠さんに講義をお願いしました。基地問題を始めとするさまざまなトピックの中で、沖縄の新聞に対する「偏向報道」という批判が話題にのぼりました。沖縄の新聞が偏っている以前に、米軍基地が沖縄に偏っていることがまず問題だ。基地の偏りが、世論のズレを生み、それが新聞の偏りにみえているにすぎない。そういう趣旨のお話でした。

私にはとても興味深いお話でしたが、「知らなかった沖縄」を探っている学生たちには、ちょっと反応が難しいお話だったかもしれません。

そこでメンバーの五十嵐さんに、まずは沖縄の新聞が、どのような歴史的な経緯で成り立っているか、調べてもらいました。


非常に高い地方紙のシェア

 新聞には大きく分けて全国紙と地方紙の2種類があり、都道府県ごとの事情により、それぞれの地元で発行される地方紙のシェアが異なります。沖縄の場合には、地方紙2紙を合わせたシェアがあわせると98%となります。全国紙を購読している人はごくわずかです。では沖縄で高いシェアを誇る2つの新聞、琉球新報と沖縄タイムスについて見ていきましょう。

琉球新報:米軍機関紙「ウルマ新報」からスタート

琉球新報は、捕虜収容所や民間人収容地域で配布された沖縄で戦後初めて発刊された新聞です。1945 年7月26日発行の創刊号は題字がなく、2号から『ウルマ新報』となりました。米軍側責任者は米海軍大尉のサトルス。初代社長は社会主義者の島清。

46年5月ひらがなの「うるま新報」に改題、有料化しています。48年、石川市から那覇市へ移転。51年に『琉球新報』に改題しました。

その間、1946年には、瀬長亀次郎がうるま新報社長に就任しますが、沖縄人民党の結成に参加したことにより、軍の圧力で辞任しています。

沖縄タイムス:戦前からの新聞人が発行した新聞

戦時下の新聞統制による「一県一紙」体制は、沖縄でも行われ、1940年に「沖縄新報」がスタートします。沖縄新報は、沖縄戦の際にも、首里の新聞社壕で発行を続けますが、1945年5月25日に発行が不可能になり解散します。このとき、最後まで壕にとどまっていた、合併前の沖縄朝日新聞を中心とした社員のうち、9人が創設メンバーとなり発行されます。戦前から新聞を発行していた人々が創設したことから、「新聞人による新聞発行」をうたい、1948年7月1日創刊されています。


この2つの新聞の発行部数は 、2019年時点の販売部数で沖縄タイムスが15万7,173部、琉球新報が15万5,508部、いずれも2009年に夕刊を廃止しています。。

沖縄ではこの2紙が圧倒的なシェアを持っていますが、実は八重山では別の地域紙が発行されています。県紙2紙は、本島で印刷したものが八重山に空輸されているため、朝刊の配達が遅れます。

八重山日報

八重山列島を対象とする地域新聞で発行部数は約6,000部です。 2017年4月から沖縄本島版を発行し、本島でも販売しようとしましたが、2019年3月1日に沖縄本島版を八重山版と統合して統合版とするとともに、沖縄本島での配達を中止し郵送に切り替えると発表しました。人手不足の影響で配達員の確保が困難であることや、経営環境の悪化などを挙げています。

八重山毎日新聞

八重山列島を主な発行対象とする地方紙(地域紙)です。1950年3月15日に南琉日日新聞として創刊、1953年に八重山毎日新聞へと改題しています。発行部数は16,000部。


今回、沖縄の新聞について色々調べましたが、それぞれの違いを色々知ることができたので、その点を踏まえて読んでみたいと思いました。(担当:五十嵐)


戦時下の言論統制の結果、「一県一紙」体制が今日まで維持されてい県が多い中、戦争で新聞発行が一時途絶えてしまった沖縄は、違う経過をたどりました。沖縄戦の戦火により、新聞の発行が停止するまでに追い込まれたあと、戦後新たに立ち上がった2つの新聞が競い合って、今日まで県内で高いシェアを維持してきました。ただ紙の新聞が売れない時代は、沖縄でも同じようにきていて、すでにネットでの記事配信においても積極的な価格設定が行われています。

琉球新報は税込み月額550円で、琉球新報ニュースサイトの有料記事を読めるサービスをスタートさせています。沖縄タイムスにも、月額990円のライトプランがあります。琉球新報の価格設定はかなり挑戦的で、全国的にもかなり安いプランだと思います。ライバルの沖縄タイムスも、同じような価格帯のプランを今後用意するのかどうか。

また、八重山の新聞とは別に、宮古島では、宮古毎日新聞と宮古新報が発行されています。



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