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満洲引き揚げのリアルに迫った写真たち:飯山達雄「小さな引揚者」

2016年に、長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館での展示を見て、飯山達雄さんのことを知りました。戦後まもなく、日本政府が十分な引揚船を満洲に差し向ける力を失っていたときに、衛生兵になりすまして中国に渡り、避難民たちの悲惨な状況を撮影、隠し撮りして、帰ってきたという人です。衛生兵のカバンの中にカメラを仕込んで、撮影したのだそう。

帰国後その写真は、大陸に残された人々の厳しい現実を伝え、引き揚げ事業に本気で取り組まない日本政府やGHQを説得する大きな材料になった。と、本のあとがきに書かれています。

久しぶりに本をめくってみました。
葫芦島で引揚船に乗ることができた人々の様子。家族のものと思われる遺骨を首から下げています。

奉天の孤児収容所の様子。奉天の元加茂町にあった本願寺で、同じ引揚者が、孤児となった子どもたちの面倒を見ていたそうです。

引揚船の中の様子。白米を食べられるようになり、襲われる不安もなくなり、ようやく日本に帰れるということになるわけですが、気を抜いた途端に体調を崩し、船の中で亡くなった人もいます(水葬されています)。

引き揚げてきた人たちのうち、孤児たちは福岡の寺に分散して収容されています。この子どもたちの世話をしたのは、同じく引揚者であった京城大学の関係者とその家族であったと書かれています。福岡の聖福寺に本部をおいた在外同胞援護会救療部のことで、この本には出てきませんが、京城大学の教員であった泉靖一さんらの働きのことかと思います。

この本に写真は出ていませんが、私がさらに衝撃を受けたのは、当時非合法であった堕胎手術を、引き揚げてきた女性たちに行っていたという、二日市保養所の写真でした。飯山さんは麻酔を使わずに行われた手術の現場に、ほとんどいることができなかったとしていますが、何枚か写真が残されています。壮絶なものでした。引き揚げの途中、暴行を受けた女性たちが妊娠し、身重で引き揚げてきたところで、極秘で堕胎手術をしていたというものです。

日本テレビ系列の「NNNドキュメント」で、 2015年8月10日に、『極秘裏に中絶すべし~不法妊娠させられて~』というドキュメンタリーが放送されています。

飯山さんはこの手術の現場に立ち会ってから、満洲行きを決意したと書かれています。


1987年に開かれたこの本の写真展の様子が、以下のブログに書かれています。「写真の前で立ち止まって動かない人、周囲をはばからず泣く声が隣室のアサヒタウンズ編集室まで伝わって」きたと書かれています。

現場に立った飯山さんは、おそらくはその残酷な現実にたじろぎながらも、写真を撮影し、貴重な記録を残しました。そのためには隠し撮りもしました。

誰もが簡単に撮影できる環境が生まれ、「写真を撮ること」をめぐる現実も大きく変化しています。たしかにそこには暴力性があります。ただ、飯山さんの写真をみたときには、記録すること・作品を残すことの価値は、今も変わっていないという思いも抱きます。

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