見出し画像

見送るということ #2

「寝ずの番」の役目は僕がすることになった。
寝図の番とは、遺体のそばで告別式まで夜を明かす事で、その間はろうそくや線香の火をとやさないのがしきたりらしい。
故人を大切に弔うための儀式らしい。昔は医療が未発達だったから死が確定するまでの措置とか、死の穢れを避けるためとか謂れがあると聞いた。
ウチの場合、葬儀が寺の坊さんと火葬場の都合で三日後が葬儀と決まった。つまり、葬儀までの三日間を父の遺体のそばに誰かが一緒にいなければならない。
僕がその役目。なぜって、喪主だから。

死体とともに三日三晩というと感じ悪いが、恐れ多くも父の遺体である。
遺体?知ったこっちゃない。
息をしていない身体はもうただの物体でしかない。悲しみという感情が欠落し恐怖もない僕はサバサバと寝ずの番をする部屋に向かった。
部屋は窓が大きく熱が逃げやすい。加えて遺体のためにドライアイスを使っているからエアコンを30°Cに設定しても寒かった。
「こんな寒い部屋で朝まですごせるかな?」
布団にもぐりながら考えていた。
ここで忘れてはならないのが、線香を絶やさないこと。朝まで線香を一本一本火を繋げなければいけないか、というとそんな心配はいらない。
最近は渦巻き状の線香があって、8時間は煙を静かにあげる。だらりと下がった香取り線香を想像してもらえればいい。
とにかく、渦巻き線香に火をつけて僕は眠りについた。

三日三晩故人のそばにいなければならない、という事はなくて夜だけ番をするのがしきたりらしい。
僕はその三日間の夜をぐっすりと寝て過ごした。
真夜中に父の紙おむつを交換する必要もなく病院からの急な呼び出しもない。静かな夜だった。久しぶりの安眠。これが介護からの卒業なのか。

三日目の朝、スマホのアラームでいつもの時間に目覚めた。
そういや三日間、父が夢枕に立つこともなかったな。あっさりと向こう側へ行く決心がついたか。
さて、こちら側は葬儀の始まりである。
喪服に着替えて気持ちが戦闘モードに入ったのを確かめた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?