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ほぼ毎日 note #250 不純な読書

最近、本を読む理由が不純になった気がする。
以前は読みたい本、気になる本を読んでいた。
ところが、最近は「この本の感想を他人に伝えたい」とか「こんな本も読んでいますよと教えたい」なんで他人の耳目を気にするようになった。
おおいに不純な理由だ。

こんな理由を持つきっかけは「読書会」だったと思う。
読書会自体は本の紹介や感想の交換など、知的好奇心をおおいに刺激されるものだ。
しかし、その知的好奇心を刺激されたい、という欲求は同時に、選書を不純な動機にさせる。
承認欲求にも似た動機で本を選ぶ事の是非は異論があるだろう。
しかし、少なくともボク自身の中では、他人の目を意識して本を選んではならない、と確信している。
なぜなら、本を選ぶ、本を読むという行為は本質的に自分自身のためであり、誰かのためにするものではないからだ。
自分の知的好奇心を満たすため、お気に入りの作家さんの新作だから、積読本の解消のため等々、本に関しては自分が主人公でなければならない。

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