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都市は誰のものか

 これは3年前に私が所属していた研究室のHPに寄稿しようとして書きかけていた,雑多な思いを綴った文章である.従って未完成であるし,個人の思想が多分に含まれる.しかし今この瞬間に読み返しても,あまり思いは変わらず,何らかの形で世に残しておきたいと思ったため,ここに書き残す.

 以下,3年前の書きかけの原稿である.

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 僕は都市デザイン研究室の富山プロジェクトに参加している.ご存知の通り,富山市はコンパクトシティ政策における国内トップランナーである.その政策の振り返りをして本を書こうというのがプロジェクトの概要である.その際に海外の事例も見た方が,より理解が深まるということで,富山市と同じくOECDのコンパクトシティ先進モデル都市に選出されているカナダのバンクーバーを視察に訪れた.ここでは滞在中に感じた僕個人の想いをまとめたい.バンクーバーの具体的な政策や富山市との比較は今夏に出版予定の本を読んでいただけると幸いである.また,視察とは別にポートランドも個人的に訪れたため,そちらも振り返ってみる.本文章はあくまでも滞在における僕個人の感想であり,プロジェクトの意見とは異なることを了解いただきたい.

目次

1.多民族国家カナダの西海岸バンクーバー

・歴史

・人口比率

・コンパクトシティの開始

2.温故知新の都市デザイン

・ヘリテッジ,容積率移転

・スカイスクレイパー

・多様な住宅

3.素敵なウォーターフロント

・親水性

  ・マーケット

・水上交通

4.バンクーバー朝日はテント村に

・バンクーバー朝日の概要

・女性の言葉

・ケンカ

5.一人ポートランドへ

・ポートランドの政策概要

・橋

6.ストリートカーとコーヒー

・交通網

・路面店

7.空き缶よ,どこへ行く

8.コンパクトシティはどこへ行くのか

1.多民族国家カナダの西海岸バンクーバー

 カナダは16世紀中頃よりフランスの植民地にされたが,18世紀中頃にイギリスが7年戦争に勝利したことによって,イギリスに領有権が移った.アメリカが独立戦争に勝利し,イギリスの支配を脱する一方で,カナダはイギリスの支配下にあり続けた.しかしイギリスがカトリック教会とフランス民法典を認めたため,最初に入植したフランス人の文化が残っている.そういう背景から,カナダの公用語には英語とフランス語の両方が指定されている.

 そんなカナダの中でバンクーバーが属するブリティッシュコロンビア州は,カナダの西海岸にあり,1871年に自治領政府に参加した.西海岸にあるため,アジア系の移民が多く,第二次世界大戦前は日本人が,戦後は中華系の移民が多く移り住んだ.人口割合を見ると中華系カナダ人が多いことがわかる.

 あくまでも僕の肌感覚であるが,多様な人達が当たり前に存在しているため,皆が人種を気にしていないように感じた.例えば僕がお土産を買うために立ち寄ったお店の店員さんは日本人であったが,接客はもちろん英語で,僕の方から日本語で話しかけたところ「あ,こんにちは」と,驚いた反応をされていた.また,ショッピングモールのフードコートには世界各国の料理があった.文化や人種の多様性が高く,外から来た人にとっても居心地の良い街だと感じた.

2.温故知新の都市デザイン

 そんなバンクーバーであるが,僕が想像していたよりもずっと「都市」だった.ガラス張りの高層ビル群が建ち並ぶ様は,ニューヨークを想起させた.

しかしながら,目を凝らして街を歩くと,至るところに古い建物があることに気づく.それらの建物の壁には「HERITAGE」と書かれた看板が貼り付けてあった.これはvancouver heritage foundationによる取り組みで,市内の古い建物を保存している.中には曳家している住宅もあった.

 市の制度としても容積バンクにより,容積率移転を行いやすくなっている.

また市の計画にも明記してあるが,多様な住宅を確保してある.例えば

3.素敵なウォーターフロント

 都市にとって水辺をいかに上手く使うかはとても重要であると思う.ロンドンにおけるテムズ川,パリにおけるセーヌ川,ニューヨークにおけるハドソン川とアッパー湾のように,魅力的な都市と水辺は斬っても切り離せない関係にあると思う.バンクーバーも地図を見れば分かるように水に囲まれている.

 この水辺が素晴らしかった.水辺すぐそこまでスタイリッシュなビルが立ち並び,都市的な美しい景観を作り出しつつ,遊歩道や緑地を水際に確保しており,非常に親水性が高かった.心地よさに誘い出されたウォーキングやジョギング,サイクリングを楽しむ人で溢れていた.

この気持ち良い水辺を歩きつつ,日本においてこのような空間があるか振り返った.大阪の道頓堀が唯一と言って良いほど,日本の都市において水辺は蔑ろにされてきたように思う.首都高の日本橋付近の地下化により生み出される空間がどうなるかわからないが,何れにしても都市に水辺が不足していると感じる.

4.バンクーバー朝日はテント村に

 突然だが,バンクーバー朝日という野球チームをご存知だろうか.1914年から1941年まで存在した日本人の野球チームである.6年前に『バンクーバーの朝日』として映画化されており,僕も見たことがある.差別されていた日本人移民が野球チームを作って団結し,冷遇を跳ね除けるというストーリーである.

太平洋戦争の開戦に伴い,日本人が収容されたためチームは解散することになったが,確かにそこに朝日は存在していた.

 どうして急に昔の野球チームを取り上げたかというと,街歩きの最中に偶然「聖地」に出くわしたからである.ダウンタウンの東側にジャパニーズタウンと呼ばれるエリアが存在する.その中ほどに朝日の本拠地はあった. 

 しかし聖地は現在,ホームレスが寝泊りするテント村になっていた.1街区の公園に所狭しとテントが並ぶ光景を目にしたのは初めてだった.思わず絶句し,立ち尽くし眺めていると,通りかかった女性に”What are you guys watching?”と,強めの口調で言われてしまった.確かに彼らは見せ物では無いのだ.自分の倫理観の低さを恥じた.

 少し話が逸れたが,コンパクトシティというものを考えるときに,ジェントリフィケーションは絶対に考えるべき課題だと思う.海外なら尚更である.中心地の魅力を高め人を集めるのだから,地価の上昇は避けられない.その際にこぼれ落ちてしまう人達をいかに包摂するのか.住宅供給の多様性を計画に盛りこんんでいるバンクーバーでさえ,1ブロックをテントが埋め尽くす状況である.

 都市計画を学ぶ学生として,あらゆる人を包摂できる計画や地域づくりを目指さなければいけないと強く感じた.

5.一人ポートランドへ

 さて,バンクーバーで視察チームと別れ,2月のスケジュールに若干の余裕があった僕のみ,コンパクトシティを考えるなら見ずには帰られない,オレゴン州ポートランドへ向かった.

6.ストリートカーとコーヒー

 ポートランドの街中には至るところにストリートカーと呼ばれるLRTが走っており,バスも合わせれば公共交通で行けないところはなかった.ほとんどの通りが一方通行だからなのか渋滞も全くなく,歩行者にとっても快適な環境であった.加えて前述したように,1街区が短く,1階はほぼ路面店が入っているため,歩き回るのが楽しい街だった.知らないうちに2万歩歩いていたくらいだ.

 また,コーヒーショップが至るところにあった.2街区に1店舗あると言っても過言ではないくらいである.それもそのはず.コーヒーにおける「サードウェーブ」はこのポートランド発なのだという.「サードウェーブ」とはそのまま「第三の波」という意味で,インスタントコーヒーの発明によるコーヒーの大衆化を指す「ファーストウェーブ」,スターバックス等によるコーヒーのファッション性の獲得を指す「セカンドウェーブ」に続く,一杯ずつ丁寧に入れることでワインのようにコーヒーそのものを楽しむ飲み方のことを言う.しかもドリップコーヒーの価格は3ドル弱と,気軽に飲みやすい設定であった.弊研究室に所属してからというもの,暇さえあれば,いや切羽詰まっていても,コーヒーを飲んでいた僕にとっては天国のような街だった.目についたコーヒーショップで買ったコーヒーを片手に路面店を覗きながら街歩きを楽しんだ.

 この本物を丁寧に楽しむ文化はコーヒーに限らず,レストランや衣料品店等にも浸透しているらしい.実際歩いていて目に入るお店はどれも聞いたことがない名前で,扱っている商品も地元に関連したもののようだった.僕にお金さえあれば,「この棚全部ください」と言いたかったくらいには魅力的なものばかりだった.

 これはポートランドのキャッチフレーズ “Keep being weired” が根付いているからである.

7.空き缶よ,どこへ行く

 2杯目のコーヒーを片手に街を歩いているときに,どこからか “Wait honey! Where do you want to go?”と歌うような声が聞こえてきた.振り返ると,そこには大きな袋を抱えた30歳くらいの男性が悲しそうな顔をして手を伸ばしており,その手の先には風で転がる1個の空き缶があった.どうやらその男性はホームレスで,両手に持つ袋は拾い集めたと思われる缶や瓶でいっぱいだった.この光景を目にした僕の胸は息が出来ないほど締め付けられた.

 僕の手には2杯目のコーヒー,彼の手には空き缶でいっぱいの袋.僕の目にはこの街は魅力的に見えるが,彼の目にはどう映っているのだろうか.そういえば,路面店が無い建物の前や,数少ない低未利用地の前の通りにはホームレスのテントがあった.そう,見ているつもりで見えていなかったのである.より詳しく言えば,ホームレスが数多くいることは一目で分かっていた.しかし彼らの暮らしを想像するまでには至っていなかった.結局僕は偽善の域を出ることができないのだと感じた.日本に生まれ大学院まで障害なく来れた僕にとって,それは仕方ないことではある.しかし偽善でも良いから,彼らの暮らしに寄り添う想像力と,可能な限り包摂する計画力と実行力は必死で身につけなければいけないと感じた.

8.コンパクトシティはどこへ行くのか

熊本出身の僕は,学部の4年間を福岡の九州大学で過ごした.そして大学院で東京に出てきた.1年過ごす中で九州と東京の違いはたくさん感じたが,都市計画的なものとしてはホームレスの多さ,目立ちやすさがあるように思う.1年暮らし,東京での生活は機械的で高度にシステム化されていると感じた.そのシステムから取り残された人達の存在は東京と九州の大きな違いであると思う.

 都市計画,引いては行政に欠かせない視点は,社会が置き去りにしてしまうこのような人達をどう包摂するかだと信じている.最近SNS等で「自己責任」という単語をよく見かける.本来の意味は「」である.しかし拡大解釈がなされ,「その人が陥っている状況は全てその人自身の行動の結果であるため,自分で責任を取るべきであり,誰かに助けを求めるべきでは無い」という文脈で頻繁に用いられる.例えば,某財務大臣が「自らの不摂生の結果糖尿病になったのに,なぜ俺が保険金を負担しなければならないのか」と述べていたような用いられ方である.ここに圧倒的に欠けている視点は,貧しい程栄養が偏る傾向にあるというものである.よって,これらの人達のために保険金を支払うことは,保険の目的の王道中の王道であるはずなのだが,何故か「自己責任」という魔法の言葉を盾に,包摂を放棄しようとする人が多いことを悲しく思う.

 さて,行政があらゆる階層を包摂するために努力することは自明の理として,僕個人の意見としては,コンパクトシティというものが都市のみの視点で語られていくことを危惧している.立地適正化計画における都市機能誘導区域や居住誘導区域に指定されない土地の住民の暮らしをどう描くのか.この点を中心市街地活性化と同じくらい真剣に考えるべきである.その際には中心市街地と同じような経済合理性のみで捉えるべきではない.床面積を重視する結果,各地にリトルトーキョーが生まれてしまっているのではないかとさえ感じる.そうではなく,もっと多様な暮らしのあり方を描き,それぞれがお互いを認める方向にシフトするべきである.福岡市は「東京を追わず,シアトルを参考にする」と明言していて,元福岡民の僕からすると大変嬉しいことである.しかし都市を見ると,天神ビッグバンと名する高度再開発を行なっており,東京型の容積率志向からの脱却はできていないように個人的には映る.決して再開発を否定しているのではないが,人口減少の局面において床ばかり増やしても,将来的に困るのではないか.それよりも中心と周辺との良好な関係性を描くことにリソースを費やした方が,20,30年後により多くの人が幸せになるのではないか,と感じている.

 あくまでもまだ一度も社会に出たことのない,実践経験の乏しい一学生の生意気な理想論に過ぎないかもしれない,しかし理想を追わなければ,そこへ至ることはない.幸い学生期間がもう1年あるため,せめてあと1年は理想を追求し続けたい.空き缶を見つめる彼を包摂するためにも.

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