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あれから12年


こんにちは。
いつもご来店いただきありがとうございます、広尾で美容師をしています金山シンヤです。
この度、4月より福岡でも美容師をします。
お客様にはざっくりとしかお話ししていませんでしたので、こちらでその経緯を書かせていただきます。


なんで今更?

なんでいい歳こいて?


と思う方もいらっしゃると思います。
自分の中では、〝今なのかな!〟と感じたので決めました。

そもそも福岡で美容師をする事は10年位前から思っていた事です。
じゃなんでそん時に出来なかったのかって言うと、僕自身の甘さです。
その事は今でも引きずっているというか、忘れちゃいけない事として刻み込んでいます。

話しが前後しちゃうけど、僕は実家が嫌で19歳で東京にきました。
もちろん東京でやりたい事もありました。

実家にいると、とにかく親がいちいちうるさい。
やりたい事を相談しても、〝つまらない!や、それダメ!〟って否定ばかりされてました。
そんな実家が嫌で出て行った訳です。
もちろんその後、福岡に帰省しても実家にはほとんどいないで友達と遊んでました。

22歳で大病して、色んな理由で早目の治療が遅れたため実家に帰りました。
実家で通院しながら治療してたんですけど、その間も親からグチグチと言われ続け。

極めつけは、〝あんたはいいね、働かないで家にずーといて、なーんもせんでいい。〟

そん時に、〝病気治ったらこんな家すぐ出てやる。〟と決めました。
好きでなんもしない訳じゃない、医師からは絶対安静って言われてるし、それ親も知ってる。
1年4ヶ月後、担当医から〝もうこれ以上完治しそうにないから仕事してもいいよ。〟
と言われて、3ヶ月後にはお金を貯めてまた東京に行きました。
その後、福岡のサロンに転勤になり4年位福岡にいたんだけど、もちろん実家には帰らず一人暮らししてました。当時、その後もほとんど実家には帰ってませんでした。



12年前。
朝早くに母から電話があり、父が亡くなった事を知りました。

その時ね。
悲しさよりも、
なぜか、めちゃくちゃ悔しかったんですよ。
こっちは言いたい事沢山あるのに、逝ってしまった。
もちろん父も僕に言いたい事めちゃくちゃあった。
お互い言いたいこと、聞きたいことがあったのに言えんかったし、聞けなかった。
それが僕が父親に対しての心残りです。


年に一度位する電話でよく〝親はいつまでも生きとらんよ〟と毎回言われた事思い出しました。

自分もそういう歳になったんだと。


その後は何を血迷ったか、毎月母親に電話してました。
最近はサボってますけど。



今年は父親の13回忌。


タイミングなんでしょうか?


2ヶ月に1度ですが、福岡で美容師が出来る。
父が亡くなった時に思った、今まで言えなかった事や思っていた事をいる間だけど母にぶちまけてやりたいと思ってます。
もちろん母も僕に言いたい事、思ってた事あると思うので受け止めたいと思います。

それから伝えたい事。

これマジで伝えて欲しい。
こんな事は面と向かってじゃないと言えないし聞けないから。
今更だけど、これからやっていきます。





最後に。
これでもざっくりと書かせてもらいました。
ちゃんとした理由になってお伝えできていると嬉しいです。
それから、こんなこと書くとよく〝福岡帰るんですか?〟って100%聞かれます。
すいません、今のところ予定はないですね。
家族がいるのでそのタイミングないです。

地元なんで楽しみなんですよ。
友人や美容師繋がりの方々に会えるのと、福岡から来てくださるお客様もいらっしゃるのでその方たちにお会いできるのも嬉しい。
こんな僕ですが、これからもよろしくお願いいたします🙇🏻




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