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迷ったときは困難な道を選び進むことを決めた〜10年前の記憶〜

会社で記事掲載用のインタビューを受けまして、学生時代や入社してからのことを振り返る機会をもらいました。せっかくなので、人生のログとしてnoteに残しておきたいと思います。

2011.3.11: 僕は井の中の蛙であることを知った

日本中を震撼させた大災害。僕にとっても人生を見つめ直す大きなきっかけとなった。無力さだけを感じ、遠くから見守るしかないと思っていた自分の目に、あるツイートが流れていた。

衝撃を受けた。「まったく、その発想はなかった」からだ。なぜ、自分は考えもしなかったのか。なんて、狭い世界で生きていたんだ。それと同時に、「かっこいいなぁ」とも思った。(不謹慎かもしれないが)

良いか、悪いか。賛否両論ではあったと思う。

だけど、僕にとってそんなことは関係なかった。

被災地に対してなにかできることをする。こんなシンプルなことが考えつかなかったのは、そもそも、世間を正しく認識できてなかったからだと思った。

「自分の視野を広げていきたい」と思い、TwitterなどのSNSを中心に、情報発信に興味を持ったのはこの時期だったと思う。

学生でありながらも社会積極的に関わっている人たちを知った

友人の誘いで、学生やNPOなど、社会人も集まるイベントに参加した。軽い気持ちでいたが、参加してみると驚きだった。いわゆる、学生団体とのデイだった。意識の高い学生がたくさんいたのだ。

学生団体に所属する、特に、リーダーと呼ばれる人たちはエネルギーが違っていた。本気で、社会を良くしたいと思っているし、その時、自分にできることを考えて、イベントを企画したりしていた。

これまで、身近な人間関係だけでやり取りしていた自分にとっては、非常に刺激的だった。

今振り返ってみて、当時の僕は考えをあらためようと決意した。

以上の2つの経験から、自分の中に芽生えた考えは3つ。

1. 世界は自分が思っているよりも広い。自分よりも優秀な人はごまんといる。
2. 諸行無常、盛者必衰、時代と状況によって正解は変わる。今の選択が、未来もずっと正しいとは限らない。
3. 「つまらねぇ冒険ならオレはしねェ!!!」未知への興味・関心を広げる。

今までは、比較的勉強も得意で、それなりの大学に入っていたので、それなりに優秀と思っていた自分を反省し、常に新しいものを取り入れていく、変化への柔軟性を認識、また、自らの行動によってこそ、世界が広がることを知ったのだった。

「就職、どうする?」周囲が学校推薦を狙う中、自分の出した回答は

大学院1年時の秋。就職活動のシーズンが始まった。1年前に、研究室の先輩方の動きを見ていたので、時期や動き方などはなんとなく、想像がついていた。

大企業でいいのか?

疑問が残り続けていた。当時は、「オリンパス事件」「SHARPの低迷」など、大企業たちに綻びが見えるニュースが世間を賑わしていた。また、GAFA企業が日本でも認知され、勢いを増し始めていた時期だったと思う。

国内では、サイバーエージェント、DeNAなど、メガベンチャーと呼ばれる企業も誕生し、世間でも認知度が高かった。

心の支えだったGACKTのセリフを思い出した

堂本兄弟に出演していたGACKTを見たのをキッカケに、中学生の頃から「かっこいいなぁ」と思って追いかけていたGACKTのお話。

バラエティとしての面白さも当時から際立っていたが、ミュージシャンとしてステージに立つと、全く違う人格可能ようにエネルギーを放出する姿に一目惚れした。そして、思考もかっこいいのである。

今では、節目、節目で思い出すようにしているセリフ。「困難な道」はどちらか?を考え、選択する。

みんなが大企業を目指すのは、先が見えるし簡単に思えた。学校推薦というお墨付きは、なんだか、自分の実力じゃない気がした。まったく冒険になっていない。

そうして僕は、大学が用意してくれていたレールを外れる選択をした。

コンフォートゾーンからの脱出

それまでは、自分の想像で描ける範囲で考え、コントロール可能なものから選択していたんだと思う。今、こうして10年前のキッカケから振り返ってみると、コンフォートゾーンからの脱出を決断したんだと気付いた。

とはいえ、心はスイッチしても能力や実力がすぐに変わるわけではない。仕事選びは、いままでの歩みとは方向転換だったので、それなりに苦労したのはいい思い出。

ひとまず、今日はここまでにしておこうと思う。就職活動からお仕事編はまた今度。