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【かっこつけで本を読む】

皆さんは、なぜ本を読んでいますか?

最近、参加した【本屋のミライとカタチ】というトークイベントの中で、「これから本を広めるために何が必要か」というテーマのお話がありました。

(下記、イベントの主題となっている本とそれについて話したvoicyの配信です!)

そこで出てきた一つの答えとして「かっこつけで本を読む」ということです。

今日はこれについて、僕の読書の遍歴をもとに少し考えてみようと思う。

読書の原点

僕は「本を読みハマったきっかけは何ですか?」という質問を頂くことが多い。

そういう時には、「受験勉強で現代文をめちゃくちゃ勉強し、活字を読めるようになったことで、大学入学時から本を読むようになった」と答えるようにしている。

これはもちろん嘘ではない。

その頃までは、国語が一番の苦手科目だったし、本を読むような習慣も一切なかった。

しかし、できるようになるだけで本を読むかと言われると、そうでもない気がする。

もし読めるだけで本を読むのであれば、日本人は識字率も高いし、最低限の国語はあるのだから、当たり前のようにみんなが本を読むはずだ。

現実はそうなっていない。

大学の友人に読書家はほとんどいないし、日本人全体を見ても半分くらいは読書をしていないと言われている。

なぜそういうことになるのだろうか。

少し自分の話に戻ると、さっき書いたように僕が読書にハマったのは受験勉強であるが、実は、読書をしようと思ったきっかけはもう少し前にある

僕が読書しようと考えた一番最初は高校二年生の頃だ。

その頃に、メンタリストDaiGoさんのYouTubeにハマり、メンタリストDaiGoさんへの憧れから、心理学の本を読もうとしたことがある

家の近くにある小さな書店の心理学本エリアにある数冊の本を手に取り、買って帰った。
(両親が本なら買ってやると、数冊分のお金をくれたんですよね!)

恐らくこれが、僕が読書を始めた原点だ。

読書のハードル

この時、僕にとって「読書はかっこいい存在」だった。

もう少し言い換えると、僕にとって読書をしているDaiGoさんはかっこいいように見えた。

そんな人間になりたいから、高校二年生の僕は心理学の本を手に取った。

当時は、ただただ憧れに従って心理学の本を読み漁ったが、本の面白さ自体は分かっていなかった。

どこかのタイミングで、読書に対する憧れと読書への退屈さのバランスが入れ替わり、読書そのものをしなくってしまった。

当時、読書の面白さが分かっていたら、その時点で今のような本好きになっていただろう。

このように振り返ってみると、読書には二つのハードルがあるらしい。

第一のハードルは、本を読み始めるハードル。

第二のハードルは、本の面白さに気付くハードル。

一つ目は、僕にとっては、かっこよさであり、読書家へのあこがれだった。

二つ目は、本の面白さに気付くための読解力だ。

そして、一つ目のハードルも二つ目のハードルも多くの人に共通しているのではないかと思う。

実用書を読む多くの人は、本から何かを得たいから読み、本を読んで成長したいと考えている。

こういった理由には、本を読む人は何かを得ている人であり、本を読んでいる人は成長している人であるという視点、つまり、読書への憧れのような眼差しが内在しているのではないだろうか

第一のハードルを越えてもらうには、読書している人がかっこいい存在として見られる必要があるのだ。

次に、仮に第一のハードルを越えても、第二のハードルで断念する人が多い。

高校二年生の僕のように、ただの憧れや勉強のために続けるには、読書が求める読解力は高すぎる。

途中で、憧れよりも読書への飽きが来る、或いは、憧れに近づけない現実から本を読んでも意味がないと結論付けてしまう。

読書に心底ハマるには、第一のハードルを越えた後に、第二のハードルを飛び越えるだけの読解力を身につける必要がある。

本棚はなりたい自分

ここまでは、本にハマった頃の話をしてきたが、最後に今の話を少ししようと思う。

読書を始めたきっかけは、かっこよさだった。

実は、これは今でも変わっていない。

僕の本棚には、積読ゾーンがあり、そこには、読むであろう積読と読んでみたい積読がある。

前者は、今までも読んできているような本が置いてあり、時間がないから読めていないだけで、読もうと思ったらいつでも読める本である。

言ってしまえば、読む前提の積読だ。

後者には、今までの自分は読んでこなかった本が置いてある。

例えば、異分野の専門書、読まないジャンルの小説、すごく難解な教養文庫などだ。

この積読は、読む前提で買っているわけではない。

読んでみたい、或いは、そういう本を読めるようになっていたら、かっこいいなという本を買っている。

今でも新しいジャンルの本を読む動機の一部は憧れであり、かっこよさなのだ

Starbucksでマックを開いてかっこつけるような感覚で、そういう本を読もうとしている。

本にハマった後も多ジャンルに対する第一のハードルを越えることで、読む本のジャンルは広がり、どんどん読書にのめり込んできた。

感想~この先したいこと~

以上のように、読書にハマることに関して自分の経験を基にお話してきました。

簡単にまとめると、読書にハマるためには、「本を読み始めるハードル(第一のハードル)」と「本の面白さに気付くハードル(第二のハードル)」の二つがある

そして、そこからさらに他のジャンルに対する第一のハードルを越えることで、読書の幅が広がり、読書にのめり込んでいける。

こんなことを踏まえて、僕はこの二つのハードルを手助けられる存在でありたいと思っています。

第一のハードル

僕はこれまで、本を読まない人に本を読んでもらうために必要なことは、読書の面白さを伝えることだと思っていた。

ただ、これではいけない。

食わず嫌いの子供にその食べ物のおいしさや栄養素を教えても意味がないように、本を読まない人に本を読む面白さや得られる学びを伝えても意味がない。

それよりも、食わず嫌いの子供は、周りの大人が信じられないくらいおいしそうにその食べ物を食べている姿を見せる方がよっぽど効果的だろう。

それと同じように、本を読んでいない人に対して、本を読む姿を、或いは、本を読んでいる人間が、楽しく幸福に生き、かっこいい存在である必要がある。僕にとってのメンタリストDaiGoさんのように。

だから、僕も本を読まない人にとって憧れられるような人間であれるように頑張ります。

そして、本のジャンルや難易度を縦横無尽に紹介することで、多ジャンルに対する第一のハードルを越えるきっかけにもなりたいと思っています。

第二のハードル

僕が高校二年生の頃、一つ目のハードルを越えつつも、本にハマれなかったのは、二つ目のハードルを越えられなかったからだ。

当時の僕は、本の選び方も本読み方も知らなかった。

だから、本の面白さに気付くこともできなかったのだ。

幸運にも僕には受験勉強で現代文が必要になり、読解力を身につけるための理由も時間も十分にあった。

しかし、ほとんどの人はそうではない。本をハマるための読解力を身につける理由も時間もそこまでない。

だから、僕はこれらの明確な方法を示したい

読めなかった僕だからこそ話せる本の読み方や選び方を発信していきたい。

こういう想いの元、noteとvoicyをメインに文章と話で本の読み方や選び方をお伝えしていきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

これからもいろんな活動をがんばっていきますので、いいね・コメント・シェアしていただけると嬉しいです!

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