食べられる野草

野草が食べられるという認識にたどり着くまでにはイレギュラーな経験が伴ってくる

便利な社会の中で手間と熟考を駆使してまで食べられるものを探すこともない

しかし、食べられる野草を探すという人は増えてきている

食べられるものがないからだ

金銭的に購買ができない

性質的に社会に出回っているものが合わない

単純に美味しく思うから

理由は様々でそれらはすべて自然な動機に思う

実際、上記の例はすべてわたしに当てはまる

・・・

野草を食べるというと貧乏を連想するようで大抵の人は不快感すら感じるだろう

しかし、わたしは野草が一番体が喜ぶ食材だと確信している

“人はその土地のものである”

生き物は植物に限らず土で育まれている

本能的に“ここ”に氣がつくと自然と野草に向かうのだろう

身の回りに食べるものがなくなっている現象に氣がつくともう社会は異次元に感じるだろう

具体的な説明をしていないので超理論になっているが、具体的な説明をしたところで栄養学的な観点ではまだ超理論だ

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