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ネルドリップライフスタイル

毎日の珈琲をネルドリップにした。
紙ではなく布で、使い回しのきくやつだ。

1)ペーパーより面倒だけど、おいしい。
2)しかも紙を無駄に使わなくて済む!
そういう理由がついに面倒コストを上回り、ペーパードリップよりもネルドリップが選ばれたのだ。おめでとうネル。君は1000%だ。

そう、環境問題について改めて考えている。
少し前にLOHASという言葉が出てきて環境への問題意識がぶわーっと広まったものの、一般には浸透しなかった。僕が学生のときに参加した「日本一周ママチャリキャラバン」も、当初は電気自動車で一周したい!ということが発端だったくらい、環境問題への意識は高まっていた。

しかしいつしかその流れは下火になり早幾星霜。僕の中でも環境問題意識は頭の隅っこに追いやられて、電気や水道はこまめに消すけど、レジ袋もペットボトルも澄ました顔で相変わらず流通しているし、使っていた。環境問題ってどこ行ったのかなと思っていた。

そしてまた環境問題ブームがきている。否、「ブーム」と呼ぶにはもったいないくらいの強度で環境問題への取り組みがされている。
レジ袋は有料に。Amazonの段ボールが小さくなる(肌感)。環境への配慮がされた商品が売れている(Allbirdsとか)。マイボトル禁止を決めた議会は叩かれる(成田市)。ユニクロがペットボトルを再利用した服を発売する(来年)。すべていいことだ。

いつも見ている美咲さんのこのツイートを見ると、この流れは時間が生んだものなのかもしれない。なので以前よりも波が高く、早い。

「ごみを出さない」というライフスタイルが、クールの変遷のなかで生まれている。今、環境問題に取り組む人がもっともクールである。しかしまさかそういったミニマリストのアンチテーゼとは。昔、元プロ野球選手の新庄剛志が「シャツは一回着たら捨てる」と言っていたことを思い出す。当時もそれはありえないと思ったものだが、今それを口にしたらバリ島にも居れないのではないだろうか。

消費することに飽くことがないわたしたちの家には物が溢れ、クロネコが運んできた段ボールが積み上げられ、所有欲を高めるために設えられた高級そうな箱が捨てられることを拒否し、ミニマリストの部屋を眺めては「なんでうちはこうじゃないんだろう...」と落ち込むことを繰り返している。

消費欲への服従と抵抗のあいだに生まれたエコノミー。
「かっこよく消費する」というライフスタイル。

資本経済によって買うことを無意識に植え付けられている。このことを自覚するところに、次の時代の暮らし方を考えるきっかけがあるのかもしれない。僕はネルドリップがその暮らしに合った珈琲であると、そこはかとなく思いました。(ちなみにネルドリップのネルはフランネルの意味で、自分でも作れます。)

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