【読書感想文】他者と働く─「わかりあえなさ」から始める組織論(宇田川元一 著/(NewsPicksパブリッシング)

青山ブックセンターでうろうろしているときにカラフルな装丁が目に留まり、パラパラとめくると「ナラティヴ」という言葉が目に入ってきた。そういえば最近よく聞く単語だな、と勉強してみたくて手に取った。

「ナラティヴ」という単語は、臨床心理学から生まれた「ナラティヴ・アプローチ」からきているようだ。今は様々な意味で使われていて、現代のマジックワードのような印象。

ナラティヴ(narrative)というと、日本語では「語り」と訳されますので、どう言語的にコミュニケーションをするか、ということを扱っているものだと理解されがちです。しかし、本来のナラティヴには、2つの意味があります。
ひとつは、語る行為である「語り」としてのナラティヴ、もうひとつは、その語りを生み出す世界観、解釈の枠組みとしての「物語」です。この本では、主に後者の物語をナラティヴと呼んでいます。(p.35)

概念的な意味を含んでいるのでわかりづらいけど...
本書で使う「ナラティヴ」というのは相手の物語、組織内での立場や役割、権限など、相手の属性から発生する物語のことである。「なんうまくいかないなあ・・・」というときにそれらを考慮して対話していきましょうということが本書の大きな軸だと思う。その方法として、相手との溝を認識し、どのように橋を架けていくのかを考え行動していく具体的な方法が書かれている。

全体的に係る基本として「対話」を挙げている。冒頭で説明されているこの対話の考え方がシンプルでわかりやすく、日頃出会うどのようなタイミングでも当てはまる汎用さをもっていた。

対話とは、「新しい関係性を構築すること」です。これは哲学者のマルティン・ブーバーやミハイル・バフチンらが用いた「対話主義」や「対話概念」と呼ばれるものに根ざしている。(p.16)
対話について重要な概念を提示した、哲学者のマルティン・ブーバーは、人間同士の関係性を大きく2つに分類しました。
ひとつは「私とそれ」の関係性であり、もうひとつは「私とあなた」の関係性です。(p.20)
対話とは、権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方向にお互いを受け入れ合っていくことを意味します。(p22)

「私とそれ」(道具)と「私とあなた」(固有)の分類はわかりやすくて、「私とそれ」というのはたとえばビジネス上の関係や、客と店員の関係だったりする。「私とあなた」は、お互いに代えが利かない存在のこと。前者よりもっと親密な感じだろうか。フリーランスで働く中で、「私とあなた」の関係性がすごく重宝されることを感じている。

仕事相手とうまくいかないときやパートナーとうまくいかないときには、自分のナラティヴと相手のナラティヴに溝がある。こういうときはもしかしたら「道具」の関係になってしまっているのかもしれない。これをどのように解決するのか、4つのプロセスを紹介していて参考になった。

「溝に橋を架ける」ための4つのプロセス(p.39)
1. 準備「溝に気づく」
2. 観察「溝の向こうを眺める」
3. 解釈「溝を渡り橋を設計する」
4. 介入「溝に橋を架ける」

しかし、そもそもこのアプローチは自分側から対話を切り拓いていくという姿勢が必要とされる。このプロセスを行うときに、自分のナラティヴを対話可能な方向へ調整し、行動をエスコートすることには相当の熱意が必要なように思う。この本で、向き合わなきゃいけない相手に向き合うことのハードルを少し下げてもらったような気がした。

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