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音楽劇<精霊の守り人>~さようなら、チャグムっていって。

この舞台を観に行った理由はただひとつ、黒川想矢くん目当てだった。
水の精霊の卵を宿し、大地を雨で潤す役目を持つ皇子チャグム役。
「怪物」でも「水」に関わるイメージが強かった黒川想矢くんだったけど、「精霊の守り人」でも「水」に関わる役どころで、不思議なリンクを感じる。
主役はバルサだが、バルサがチャグムを守る用心棒となるので、必然的にバルサが登場するシーンでは、ほぼチャグムもそばにいるということになるのだ。
したがって、黒川想矢くんが舞台上にいる時間も長い。
大人の俳優に囲まれた、こどもであることが、舞台だと如実にわかる。
映画「怪物」のティーチインのときも、お客さんから「可愛いかったね~」という感想が漏れ聞こえてきたが、「精霊の守り人」でも客席から「可愛い」という感想が漏れ聞こえてきた。
おそらく共演者の大人たちの感想も同じだったはず。
現在の黒川想矢くんについては、「可愛い」という印象、形容が、最も馴染むんだろう。

アップのある映画と違って、舞台は「全身が演技」になる。
舞台に立った、黒川想矢くんのたたずまいや立ち姿は。
無防備だった。
普通に立っているときの姿が、ふわっと力が抜けている。無防備が魅力、無防備が武器になっているというか。
大人の俳優たちのたたずまいは、静の役でも動の役でも、基本、テンションが入っている。研いできました、という感じの風合いで。
俳優と観客のリアルタイムの共有になる舞台というものは、俳優に濃い目のテンションが入るのが自然だとは思うけれど。
黒川想矢くんのたたずまいは、風に凪ぐ草花のようにやわらかい。
身体に宿った精霊の卵のエネルギーを表現する身体の動きが、フィギュアスケーターのステップシークエンスのように、上半身を止めることなく使いつづける、舞うような動き。
バルサとの武術の型のレッスンのシーンで見せた動き方も、身体が軽やかで、舞うようだった。
発声とかダンスとか武道とか、身体の本当の力を出すには、身体の力が抜けていることが大切だけれど、そんな感じで身体の力が抜けているような印象だ。
その力の抜け具合に、ベビーのような無防備さと無欲さを感じるのはなぜだろう?
無防備さ・無欲さが、ピュアな雰囲気につながっているのなら、それは大きな魅力になっているんだと思う。

舞台だから顔の表情は、つかみにくく(できる限りオペラグラスで追っかけたけど)、だから全身の演技を大切にしてくれたんだと思う。
舞台を観に行った二日後に、配信映像も申し込んで鑑賞。
配信映像は、近距離からの映像も入っているので、ところどころで、俳優の顔の表情も映してくれている。
黒川想矢くんの表情も、とても魅力的だったので…この表情が舞台上で、すべて伝えられないのは惜しいなあ。(だから配信映像も別商品として成立するのか)
配信映像だからこそ、受け取ることができた黒川想矢くんの表情があった。
原作でも涙があふれるバルサとチャグムの別れのシーンの言葉。チャグムがバルサに言う。
「さようなら、チャグムっていって。」
このセリフのときに、黒川想矢くんは本当に泣いていた。
カットのない舞台だから、涙は借りてくることはできない。
「怪物」のパンフレットで柊木陽太くんの<想矢くんの特技は泣くことなんです。僕は泣くお芝居があまり得意じゃないので、憧れています>のセンテンスが証明されたようだったよ。

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