作曲家のくじらさんについて、くじらさんの好きな楽曲についてひたすら語る
くじらさんについて
まず、くじらさんについてざっくり
現在は4年目になるので更新がされてない様子。
Youtubeには2023年6月現在までに48本の動画がアップロードされており、ライブ中の動画や、昔の楽曲をセルフカバーしたものなど、活動内容から自分で作った曲に対する想いが強く感じられる。
最もヒットした曲は、yamaの春を告げる(1.2億回再生)で、次に、Adoの金木犀(3206万回再生)、a.m.3:21(yama, 1928万回)、ねむるまち(yama, 1866万回)、色彩(yama, 1532万回)
提供曲がヒットしているイメージが強い。
それぞれ提供について見てみると、ほとんど作詞作曲編曲を全て一人でやっており、ものすごい努力家なのが伺える。
作風としては、日々の悩みを中心として、共感できる具体的な歌詞の合間に、抽象的な表現を挟むことで、言語化が苦手な若者の心を掴むような世界観を描いている。
例に春を告げるを示す。
6畳半や蛍光灯といった東京住みの学生に刺さる具体的な言い回しに、
電脳城や開幕戦といった直接的には理解できない抽象的表現が見られる
言語化が苦手な若者は、親からの過干渉によって生まれた「子供中心主義」的思想を持った理解されたくない若者と似ている。
親世代は「昔はもっと分かりやすい歌詞で、胸に響く楽曲が多かった」と嘆くが、子世代は「子供の心は親には理解できない。分かった風な口を聞かれたくない。」などの心情で、非直接的な歌詞の曲を好んで聴く。
これも結局、親から見ればあー反抗期ね笑みたいに捉えられてしまい、ますます壁が厚くなり、それに比例して言語が抽象化されてきた。
少し話題が逸れてしまうが、親世代に多い生存バイアスというのがある。これは、親が持つ思想で「私が大丈夫だったから、子供も大丈夫」といった子供に同じ思想・環境を押し付けるものである。
くじらさんは、2度のワンマンライブで必ず語ることがあった。それは、社会の歯車として上手く振る舞えない自分に葛藤した経験から、それに共感してもらえるような曲を作り続けることで、誰かの心の支えになりたいというようなことである。
先駆者からの生存バイアスには、学歴社会や就活などがあり、明らかに時代にそぐわない慣習が根付いている。くじらさんはそういった見えない圧力に耐えられず、楽曲を制作するという方向性に至ったと言う。
くじらさんの楽曲について
くじらさんの楽曲で私が最も好きなのが「抱きしめたいほど美しい日々に」という楽曲で、耳に穴が空いて頭蓋が貫通するほど聴いている。
現在まで46万回再生されているが、そのうちの100万回くらいは私だろう。
抱きしめたいほど美しい日々に
まず、歌詞が最高。そしてメロディーもやばばばい。MVもきゃわ。しんどい
これを歌っているときのくじらさんはもっときゃわ。ライブで跳ねすぎ。
論理的分析なんていらない。全人類聴け。聴けばわかる。
悪者
聴かない選択肢はない。聴け。
好きな歌詞を一つとか、無理。全部好きです。
強いて言うのなら
「コンビニで君のお気に入りを見るたび少し悲しくなるんだろう」
こんな感情になったことはないけど、くじらさんの優しさが溢れすぎる歌詞として好き
狂えない僕らは
歌詞はほとんどわからない。考えるな、感じろ。
これはくじらさんの楽曲の中で最も芸術に近い。
水星
どんな暗いことがあっても乗り越えた先で自分だけの幸せを掴み取ろうと、応援ソングのような楽曲ではあるが、MVを見てもよくわからない
でもMVは可愛いので見てほしい
ひかりをためる
くじらファン待望の新曲
一回聴いただけでは全ての良さを理解できない。
気だるく過ごす日常の中にある変わらない日常と変わっていく自分を情景描写で描いた楽曲。
まとめ
くじらさんの葛藤から生まれた素晴らしい曲たちに筆者はいつも救われている。これからも是非大好きな曲を提供して欲しいし、ずっと大好きであることをくじらさんに伝えたい。
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