なんでもできる気がしていた、あの頃
最近大人になってきたなあという実感が増えていくとともに、色々感じていくものが薄れていくのを感じる。
人は歳をとるにつれて、感動が薄れていくんじゃないかと思う。
いろいろなことを経験してしまうと、あの頃のようなワクワクや興奮はもう2度と味わえないのではないか。
それが積み重なっていくと、なんだか自分自身には趣味がないだとか、生き甲斐がないだとかなど、なんとなく自分の人生が希薄になるような感覚に陥る。
生きていくということは、感動を忘れていくこと?
じゃあどうやって生きていけば感動を増やせるのだろうか。
俺も詳しいことはあまりよくわかってないけどただ一つ最近の傾向から見て言えるのは
自分が今なんとなく面白いなと思っていることを、さらに発展させようとしてみる
ってことはめちゃくちゃ大事だなと思う。
希薄になっていくのを感じていくのはやっぱりしょうがない。行動する先のことがもうなんとなく分かりきったことなのは生きてきた痕跡として残り続けるから。
それを回避するためには少しでも新しいことに取り組むしかない。
とは言っても、何もない空間から趣味を生み出すことは不可能に近いと思う。
だからこそ、今自然とやっていることに+αでやることが生き甲斐になるんじゃないかと僕は思います。
俺は基本的に没頭していないという瞬間がほぼ訪れない。常にちょっとでもいいなと思ったものに興味を持ち、それをもっと知ろうと行動していくと、気がついたらそれが生きがいになってる。
だから今、「自分には生きがいとか特にないな」と感じている人は特に、新しいことに興味を持つという視点を取り入れる必要があるなと思います。
ま、なかなか難しいけどね笑
やってみた上で、これは違うなとか思ってもその感覚を大切にすることも大事。何が違うかがわかるということは、その逆を考えて何があってるかを考えることだってできる。人生は意外と思考次第で無限の可能性を帯びているなと思います。
あのころは、自分が生きている場所が全てで、それが自分にとっての世界だった。
なんでもできるような、そんな高揚感を隣り合わせに、流れ流され日々を生きること、そんなことが生き甲斐になっていたんだなと思う。
大人になって、昔のような世界の中で泳ぐことはもう叶わないけれど
今ある生活は、もっともっと自由に生きていくことができるんじゃないかな。
難しいけど、楽しく行きたいならそのための努力はしたほうがいいよっていう自分への教訓、戒めでもあります。
まあなんか他にも書こうと思ったけど、自分の感じたことをもっと言語化していくのは人生をより良くするのに役立つことはあるよねっていうお話でした。
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