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似非読書家に告ぐ

最近なかなか本が読めないでいる。読もうと思っても疲れて読めなかったり、鼻水が出て集中力を削がれたり、読めても難しくて疲れてしまったりで、全然読み進められていない。

私は同時に本を読む癖があり、いま読み途中の本を上げれば、

・綿矢りさの『パッキパキ北京』
・ケインズの『雇用,利子および貨幣の一般理論』
・アランの『定義集』
・『中世哲学の射程: ラテン教父からフィチーノまで 』

だ。

どれもおもしろいのだが、骨が折れる本だ。私は難しい本を手に取る傾向がある。しかし読めないことも多く、デリダの『エクリチュールと差異』とか、モンテスキューの『法の精神』とか、大雑把に読んで内容理解までいけなかった本は多い。

難しい本にはロマンがある。しかし私の脳みそは完全に凡庸だ。もし手に入るなら、どんな本でも理解できる能力がほしい。

とはいえそんなことは分をわきまえない望みだというのもわかっている。私などは入門書を理解できるくらいで十分で、それで満足しなければならない。

小説を読んでもそれをいろいろな作品に結びつけて考えるまでには至らない。楽しんですぐ忘れてしまう。昔はそれでもよかったし、覚えているものも多かったが、いまでは感動も薄く、記憶残りが悪い。

それでも本を読むのは、趣味を読書としているからで、趣味が否定的なものばかりでは味気ないからだ。本当の本好きには頭が上がらない。私は似非読書家だ。

本当は本も読めて、文章も書けて、本も作りたい。ただ、これは夢の話だ。寝ぼけているなら目を覚まさなければならない。

おはよう、現実。

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