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アダム・スミス『国富論』6(2024年6月27日)

どんな国民の場合も、労働が行なわれるさいの熟練、技能、判断力が実際にどのようであろうと、同じ状態がつづくあいだは、有用な労働に年々従事する人々の数と、そういう労働に従事しない人々の数との割合によって、年々の供給が豊かであるか乏しいかが左右されるにちがいない。有用で生産的な労働者の数は、のちに明らかになるように、どこにおいても、かれらを就業させるために用いられる資本ストックの量に比例し、また資本ストックが用いられる場合の特定の方法に比例する。

アダム・スミス著、大河内一男監訳、『国富論 Ⅰ』、中公文庫

この部分を読んで私が思ったのは、資本ストックに比例しているのは有用な労働に従事する労働者だけなのだということだった。資本ストックが増えても、有用でない労働に従事する者の数は変わらないし、そういう労働者はいつでも一定数いて、豊かになるとは有用な労働に従事する労働者が増えることということだ。有用でない労働者は考えるに値してないのがすごい。いや、というよりそれはいるとしつつも、できることを考えようとしているのだ。できれば私は有用でありたいが、そうでない可能性もある。

また、第5篇の説明で、国において、一部の人から資金を出してもらうのはどういうときで、全員で出すのはどういうときなのかを考えると書いてあるのはおもしろい。私が思うのは、やはり国は一部の人の資金で動いているのだろうなということだ。ちゃんと読んでみないとわからないが、第5篇もおもしろそうだというのはわかる。

(続く…)

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