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must、can、will

自分を知り、それを受け入れることが必要だ。それは自分がどうしたいのかということと、自分に何ができるのかということと、社会の中でどういう位置づけをされているかということを知り、それを習慣にまで落とし込むことだ。

誰がいい出したか私は知らないが、世にはmust、can、willで知られている。これがうまく重なるところを目指せというわけだ。

失敗する人は大抵どれも正しく認識していない。私の場合でいえば、すべてよくわかっていず、的外れなことばかりしていた。

残念なことに世の中には、ダメな人間というのがいて、そういう人はやらなければいけないことができない。

一方で、天才という人もいて、彼らはやろうと思えば、それができてしまう。しかもこういう人はやらなければいけないことと、やりたいことと、できることをちゃんと認識できる。

しかし、世の中の大部分は凡人なのだから、そんな凡人のためのノウハウがあってもよさそうなものだ。それなのになぜ天才の美談と、ダメな人間へのけなししかないのだろう。

私が考えるべきは凡人のための凡人による凡人のための思想だ。頭がよくなくてもわかり、簡単に実践できる、そんな方法論が必要だ。

第1に、凡人であってもできたことを繰り返すことはできるのだから、ルーティン化が目指すべきところだ。

第2に、凡人は快楽がないとやる気が起きないのだから、何かご褒美が必要だ。何かできたとき自分でご褒美をあげるわけだ。

第3に、難しいことはできないのだから、あきらめも必要だ。まして遺伝に関わることに逆らうのはよくない。頭の悪い人は悪いなりに、体のどこかが劣っている人は劣っているなりにそれぞれのやり方を見つけなければいけない。

これらを具体的にしてみると、例えば読書を考え、読書が趣味というふうになりたいとすると、まず本を買ってしまうことだ。形から入るのが凡人にはいい。そしてその本を同じくらいの時間に開くようにする。つまらなくても我慢する。そしてある一定の時間それができたら、甘いものを食べるとか、お酒を飲むとか、なんでもいいが、ご褒美を用意する。本を開けば楽しいことが待っていると脳に勘違いさせる。確かに変な癖、つまりは本を読むと甘いものが食べたくなるとかはあるかも知れないが、そんなことはあきらめる。凡人には凡人のやり方があるのだ。そして最終ページまでこれらを繰り返して、読み終わったら、満足する。人に話したいとかそういうのはまた別の能力だから、考えないようにする。

これだけやれば読書が趣味にならざるを得ない。こうした方法を本気で考えないといけない。私は天才ではないのだから。

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