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アダム・スミス『国富論』1(2024年6月24日)
私は経済学部を出ているのだが、ずっと読めといわれていた本があった。アダム・スミスの『国富論』だ。これを読まない経済学部生はモグリだとさえいっていた。だから、実際私はモグリの経済学部生だったのだろう。その『国富論』をこの度、ついに読んでみようと思い立った。この前図書館に行ったとき文庫でたくさんあったから。しかし、これは長い本で、しかも議論が入り組んでいる。骨の折れる本だ。私は読み通すことができるのだろうか。
まず序論。ここからして重要だ。というのもここで述べられているのは「労働価値説」といわれるもので、富とは労働によるものだという考えだからだ。例えば、パンが価値があるのは、小麦や水その他を作ったり使えるようにした人がいるから、そしてパン職人が作ったからという説だ。パンには労働というものが価値として含まれているという考え方だ。
ここには深い含蓄がある。もったいないという言葉があるが、これにも通じる。もっとも、アダム・スミスがいったわけではないが、それくらいスルメな概念だと思う。つまり、現在は過去の労働によって作られているといえるからだ。労働者こそ価値を作り出している。凡人の私たちには何とも励まされる考え方だろうか。もっとこれを発展させれば、人こそ価値だともいえなくもない。アダム・スミスは倫理学者でもあるから、そういうところは抜かりがない。
現在の経済学のトレンドがどうなのか私にはわからないが、私が学生のときは何でも勝手に決まるから大丈夫学派が力を持っていた。労働に価値があるなんてのは忘れてしまっていたに違いない。しかし経済学の始まりアダム・スミスがそういってくれているとすれば、労働者万歳なのだ。これだけでも読む価値がある。
(続く…)
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