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お金がない話

私の個人的な話をすると、私のおこづかいは一月1万円である。1万円もあると見るか、1万円しかないと見るかは人によるだろう。ところで私の肌感では、一月1万円は明らかに少ない。一日当たりにしてみるとその少なさがわかる。つまり333円/day。300円ではちょっとカフェで休むこともできない。せいぜい街中のベンチで休みながらペットボトル飲料を飲むことができるぐらいである。また、333円では娯楽も買えない。本はコスパがとてもいいといろんなところでいわれているが、それを買うことさえできない。しいていえば、古本を買えるぐらいである。確かに古本は悪くない。おもしろいものもある。しかし新しいものは買えないので、話題にもできず、孤独に輪をかけることになる。私はいまここでしかできないことがしたい。

そう考えてみると、私は貧乏である。貧乏の悪いところは娯楽が少ないところにある。自分で何でも作り出せる人ならいいが、凡人はそういうわけにはいかない。凡人こそお金を持つべきなのだ。しかしもうお金はないのである。となれば、私にできることは、できるだけお金を使わないで退屈しないことである。そのためには何ができるだろうか。こういうときの一番のいい手段は、お金のかかるものから物理的に遠ざかることだ。パチンコ屋の前は通らない。お酒を飲んでる映像は観ない。贅沢品は買わない。コーヒー屋の前もできるだけ通らない。休むときはベンチを使う。これはこれで健康的な気もする。貧乏は贅沢病からは遠ざかれるというよさはある。

しかし、凡人は退屈する。ここでは凡人でも退屈しないで過ごせる方法を考える必要がある。無料、タダ、そういうものをうまく使おう。図書館は再三使っているが、だんだん厳しくなっている。本はとりあえずいい。時間があればバス旅行はやろうと思う。YouTubeも悪くはない。しかしこれも一般に向けたメッセージであって、いまここ感がない。好みの動画があればいいがやはり退屈する。街中は誘惑に満ちている。だから散歩も危ない。家にできるだけいるのがいいのだ。ネットというのも普遍主義なところがある。文章だからである。そう考えると書き写すのはいいかもしれない。手書きの文字はいまここだからである。パソコンやスマートフォンでは普遍主義の枠に入ってしまう。

まとめ

  • 一月1万円は少な過ぎる。

  • できるだけお金を使わないで退屈をしない方法を考える必要がある。

  • (1)誘惑を物理的に遠ざける。

  • (2)家の中で持っている本の書き写しをする。

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