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何をあきらめ何を続けるか

あきらめることと抗うことは判断がなかなか難しい。やめるのかやめないのか、希望を持つか警戒するか。少し間違えば泥沼になるし、うまく処理すれば力を感じることができる。それは王者の遊戯だ。そこには決断力、判断力を試そうという思いが隠れている。ということは、決断力と判断力を鍛える片づけというものをすることで、私たちは何をあきらめ、そして何に希望を持ち続けるかをうまく処理できる。

要するに、その当のものをどう思っているかで決めればいいことになる。本当に続けるたいのか、本当はやめたいのか。しかし気持ちが動かなくても決めなくてはいけないときはある。そのときは賭けで決めるしかない。実際、そういう場面は多い。何かに頼って決めるのは本当はよくないだろう。しかし片づけによって身についた、自分の本当の心地よさに従うやり方は本当の判断であり、賭けと同じものだ。そこに後悔はない。それはその判断が自分の心に恥じない判断になるからだ。「最終的に人生のよし悪しは感情しだいだ」。

深い感情と浅い感情がある気がする。深い感情は理性とかなり親密な関係にある。浅い感情は体と強い関係にある。これを分け、いつも平常時の感情、つまり基盤として漂っている感情を魂としよう。何かに揺り動かされて出てくる感情を感情の波としよう。

魂は感情の波が去った後もずっと残り続ける。一方で感情の波は一時の嵐であって、後に残るのは後悔という魂だ。だから、もっというと、魂とは考えることが役割の精神に漂う雰囲気といってもいいかもしれない。魂は意志によって維持される。だから健全な人の魂は幸福を持っている。

ところで片づけが魂を鍛えるかについては、こう考えよう。つまり、片づけは過去に手に入れたものを通じて過去の自分、よりピンポイントでいえば過去の感情の波と向き合う行為である。そのため魂に気づき、魂によって判断ができるようになる。感情の波は無常である。常に揺れ動いている。状態とは感情の波に当てはまる言葉だ。魂は精神がまとう衣服だ。つまり、裸でいるのは狂気の沙汰だということになる。捕まることもある。

魂に従うことは精神衛生上いい。理性が精神の法則に適っているのと同じように、魂もまた精神の法則に適っている。魂はまた、いまここにも関わっている。

まとめ

  • 何をあきらめ何を続けるかの判断は難しい。

  • 感情には深い感情と浅い感情がある。

  • 前者を魂、後者を感情の波とする。

  • 片づけは感情の波と向き合い、そのために魂に気づく。

  • 魂は理性、いまここ、精神と関わっている。

解:魂を知って魂に従え。

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