感情をどの程度認識して表現するか
感情変化を無視していれば、自分との戦いで敵が減るので生活しやすいのですが、問題は社会性が無くなって人間関係の構築が困難になることです。
感情がある程度認識できれば(人に喜んでもらえて嬉しい、友人と遊べて楽しい、など)、他人と円滑にコミュニケーションをとることができて、良いことなのですが、問題点もあります。
それは、自分をコントロールするのが難しくなるところです。世間一般では底とうまく折り合いをつけるのでしょう。感情変化(欲の原因)から来る行動としては一般的にはコンビニでお菓子を買ってしまう、服屋さんで一目ぼれして少しうしろめたさはあるものの購入してしまう等があると思います。自分を引っ張って他の場所に連れて行こうとする力があれば対応するのに手間がかかります。私の場合は対応するのが面倒だと思ってしまいます。欲があるから世界は発展してきたと思うので感情変化や欲は大切だと思うのですが自分にとっては必要のないものだと考えてしまいます。
ここで思いついたのが、理性と感情をどれくらいにすれば自分にとって生活しやすいのかということです。意味不明なことですが、感情変化を認識・表現しにくい(感情表現の蛇口が固い)のであれば、少しずつ開けて中和滴定のようにうまく調節できないかと考えるようになりました。ある程度人間と関わりをもてば感情変化の認識・表現がうまくできている気がします。(蛇口が緩くなるのではないか)
ロボットみたいで書いていて変な気持ちですが、社会になじむことができるように、世間の普通が理解できてそれなりにうまく生活したいのですがまだまだ道のりは長そうです。常識のずれから来る世間から見た暴走(自分は普通と思っているが)をしないようにしたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?