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奥が深い話

いろんな考えが混じって起きても起きてもまた夢が続くので、ここに書いてみようと思う

これを読む人全員が私を肯定してくれることを前提に書いていく
そのくらいの気持ちじゃないと本音を外に出すことが制限される世の中だから

レズビアンについて

私はレズビアンでありたいと思う。セクシュアリティは本人の意思で選べるものなのか知らんけど
私は男より女を好きでいたい

それは普通に女の子って可愛いし今まで仲良くなるのも圧倒的に女子、心が通じた経験は女子としかない

なんなら男子から本気で人間として好かれた体験はない。仲良くなれたと思ってもどこかで私は見下されてたり女として線を引かれてたりする

社会が作った男女の境界線は本当に根深い。分かり合えないのが通常である。どんなにLGBTQの概念が広まっても、男でも女でもない人が世界にたくさんいるとも言うのに、男女として分けられる。病院の問診票の上の欄に男女の丸つけるところあんのうんざりだし、「女性には喪ドレスの貸し出ししかなくて…」という葬式側の主張にも憤りを覚えた。

男から仲良くしたいアピールをされると下心を感じる。実際、今まで10人以上と付き合ってきたりものすごい数の男とカフェとか普通に遊びに行ったけど、そこに私が求める関係は生まれなかった

歳を取れば男とも仲良くなれると思っていたがそうでないらしい。私は結構可愛い顔をしてるし、俗に言う「いい体」なので、そのフィルター越しでしか見られないことが続いた

もちろん女でも損得で近づいてくる人もいるがそれは私が女だからではなく私だからである。私の持っているものを羨んで近づいてくるのだから、それは私の女属性に惹かれているわけではない。

私の女属性はあくまで私を構成する一部なのにそれの比重が男にとってはめちゃくちゃデカいのだ

例えば私が仲のよかった男は、私がもし男であったらそうはならなかった。私が女に見える点で仲良くしているのだ。

遊びに誘われたりご飯に誘われたりどんなときでも、その相手が私の女属性を気にしてることが透けて見えるのでなかなか仲良くなれないのだ

それは私の求める関係ではない。

恋愛はしたい、という思いがある。でもめんどくさいことはしたくない。会ってすぐ将来の話やコミットメントの話や相性の話をするのはキモい。そんなん話したって真実は分からないだろ。だって20年以上一緒にいる家族とだって最近わかった新情報や、どうにもならない溝がある。

私は何も考えていないと、自然とオスに惹かれる。オスっぽい人には目が行く。でもそれだけだ。体を重ねたいと思わないし。だって重ねる必要性って現代どこにもないから。オスとして魅力的な人と仲良くなりたいと思わない

だってこの世にはオス以外にも大自然に魅了されたり面白い漫画やアニメに心惹かれたり、おいしすぎる食べ物があったり、信じられないくらいの誕生日サプライズをしてくれる友達がいたり。
魅力的なものがたくさんあるよ

それをなぜオスメス間の魅力がものすごく重視されるのだろうか。それは現代だけではなく平安時代から続く人間の愚かな固定観念だと思う。

仕事について

仕事というものはあまりしたくない。心を失うからだ。仕事をしてたくさんお金が入るのはいいことだけど、それがあまりにも辛すぎてお金の入りより先に心の温かさが消えてしまったらそれはなんとも悲しい行動だ  

オスメスの話と一緒で、仕事も大切だが私はそこまで大切にしたくない。お金も大切だが、他に大切なものもある。その考えを忘れさせようとしてくる人々や考え方や団体は大嫌いだ。

まるでそこにいることが私の全てであるかのように諭してくる人たちは大嫌いだ。私をジャッジしようと意味わからん質問を続ける奴らも大嫌いだ。

私は守るべきもの大切なもの、自分を構成してる大事な要素というのは無限にあ。その順位もさまざまである。それを決めるのは私だけであってお前らがとやかく言ってくるのもハエ並みに迷惑だ。

私は私の世界がある。周りのものはそこに出入りしたりしてるに過ぎない。私の体内の要素や分解度までに手を出してくることを私は「干渉」だと認識する。そうした行為は許せない!というよりもはや冷める。何やってんねんお前という勢いで、その対象にそれまではあった興味や優しさがずっと冷めていきますね。

でもそれが普通だと思う。誰も自然の流れを邪魔できない。私だって自然なのだ。私の変わりたい速度で変化する。脳の動きとは関係なく疲れる時もあるし無意識に変化していく。だがそれは全て私である。私は私の中で育っていく

しかしそれは他を寄せ付けないなどという話ではない。勘違いも甚だしい。私の目は常に外を見ているし口や鼻は常に開き、外のものを吸収し私を排出しているし肌は外を感じている。

十分開いてます。

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