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連鎖反応 [Chain Reaction]【動画】

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つながりのある曲を鎖のように連ねながら、その曲に対する思いをコメントしていきます。ほぼ毎日更新(予定)です。
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2021年9月の記事一覧

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271: The Jimi Hendrix Experience / Crosstown Traffic

「トラフィック」と言うバンド名、日本語ネイティヴの私は特に何とも感じませんが、英語ネイティヴの人から見れば、バンド名が「交通」って、違和感ないのかな?と思います。 タイトルに「トラフィック」が入る曲も色々ありますが、ジミ・ヘンドリックスの名盤に収録されたこの曲をピックアップ。 1968年にリリースされた『エレクトリック・レディランド』は、ジミ在命中では最後のスタジオ・アルバムとなった2枚組。 まずは、そのヴォリュームに圧倒されます。この時期は、ビートルズやクリームも2枚組を出していて、「2枚組ブーム」だったのでしょうか?(多分違うと思いますが) このアルバムには、スティーヴ・ウィンウッド、クリス・ウッド、デイヴ・メイスンと、トラフィックのメンバーが3人もゲストで参加しています。 ちょっとサイケっぽいこの曲には、デイヴ・メイスンがコーラスで参加。自分のバンド名の「トラフィッ~ク!」というフレーズを歌っています。 なかなか遊び心あふれる演出だと思います。

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270: Traffic / Here We Go Round The Mulberry Bush

1967年にスティーヴ・ウィンウッドが脱退したスペンサー・デイヴィス・グループですが、翌1968年、映画『HERE WE GO 'ROUND THE MULBERRY BUSH』のサントラに(全12曲中)8曲を提供します。 ただ、タイトル曲を提供したのは彼らではなく、なんとウィンウッド率いるトラフィック。(ちなみに、トラフィックは3曲を提供) この曲はそのタイトル曲で、US8位のヒットとなりました。 途中、テンポが変わってみたり、音量が小さくなってみたりと、何とも不思議な構成の曲ではありますが、このあたりもサイケデリック・ロックが席巻していた時代の雰囲気を感じます。 まあ、それにしても、この時、スペンサー・デイヴィス・グループのメンバーの心境はいかがなものだったのでしょうか。実力の世界とは言え、なかなか残酷な話ではあります。

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269: The Spencer Davis Group / Gimme Some Lovin'

今日は「Gimme Some」までつながっています。 この曲は、1966年にリリースされた、スペンサー・デイヴィス・グループの大ヒット曲(UK2位/US7位)。 このバンド、バンド名はスペンサー・デイヴィス(ギター)のグループと言うことになっていますが、まあ、どこをどう見ても、スティーヴ・ウィンウッドが中心であることは間違いないでしょう。 彼は1948年生まれなので、この映像当時は、まだ18歳か19歳。オルガンを弾きながら、ソウルフルに歌う姿は、まさに「天才少年」と呼ぶのが相応しいでしょう。 しかしながら、ウィンウッドは1967年に脱退し、トラフィックを結成。 看板を失ったスペンサー・デイヴィス・グループは、以降は特に目立ったヒットも出ず、1969年に解散しています。 バンドに天才少年を入れてしまったが故の悲劇なわけですが、そもそもウィンウッドがいなかったら、ヒット曲を連発し、注目されるバンドになっていたかどうかも疑わしいわけなので、どちらが良かったかは神のみぞ知るところなのでしょう。

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268: John Lennon / Gimme Some Truth

「Gimme」つながりで、ジョン・レノンのこの曲を。 アルバム『イマジン』収録のこの曲、ビートルズ時代にはすでに書かれていて、レコーディングも行ったものの、未完成に終わっています。 ソロになってからレコーディングしたこのヴァージョンでは、かつてのバンド・メイトであったジョージ・ハリスンが弾くスライド・ギター・ソロが印象的です。 歌詞の方はと言うと、いわゆる「プロテスト・ソング」で、政治を始めとする様々なものへの不平不満を吐き出したような内容となっています。このあたりにも、ヴェトナム戦争が生んだ暗い影が影響を及ぼしていたのかも知れません。 この曲、シングルカットはされていないのですが、多くのミュージシャンにカヴァーされています。最近だと、グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングのカヴァーが話題となりました。 ところで... 冒頭に「Gimme」つながりと書いたものの、この曲、元々は「Give Me Some Truth」と表記されていたので、厳密には微妙につながっていないのですが、まあそこは大目に見てください。

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267: The Rolling Stones / Gimme Shelter

ピンク・フロイド「虚空のスキャット」のように、男性ロック・グループで、ゲストの女性シンガーがリード・ヴォーカルを取った曲と言えば、ストーンズのこの曲を外すわけにはいきません。 1969年にリリースされたアルバム『レット・イット・ブリード』のオープニング・ナンバーで、ミック・ジャガーとともにリード・ヴォーカルを取ったのは、ソウル/ゴスペル・シンガーのメリー・クレイトンでした。 メリー・クレイトンのソウルフルなヴォーカルは迫力十分で、ミックを圧倒せんばかりの勢いです。 この曲、歌詞が何とも陰鬱ですが、背景にはベトナム戦争の影響があったと言われています。 戦場の映像がTVで流され続いていた時代。すべての話題がウイルスに支配されているこの2年弱と共通する面があるのかも知れません。 このアルバムの録音中に、ブライアン・ジョーンズが脱退し、ミック・テイラーが加入したということもあり、この曲でギターを弾いているのはキース・リチャーズ1人です。 この曲に始まり「無情の世界」に終わるこのアルバムは、曲のヴァラエティも豊かで、個人的にはストーンズの最高傑作だと思っています。 ま、『ベガーズ・バンケット』から『メインストリートのならず者』までは、どれも甲乙つけがたいですけど。

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266: Pink Floyd / The Great Gig In The Sky

ピンク・フロイドの作品で、メンバー以外がリード・ヴォーカルを取っている曲が、「葉巻はいかが」以外に、もう1曲だけあります。 それが、『狂気』に収録された、リチャード・ライト作のこの曲。リード・ヴォーカルを務めているのは、女性シンガーのクレア・トーリー。 このアルバムについては、多くを語る必要はないでしょう。1973年にリリースされると、ビルボードのアルバムチャートに741週連続でランクインし、全世界で5000枚以上を売り上げるという、ロック史上でも類を見ないセールスを記録したアルバムです。 プログレと言うと、曲が長く、演奏もテクニカルで、ロック初心者にはとっつきにくいイメージがありますが、このアルバムは、比較的短めの曲がつなげられて「組曲」を構成しており、演奏も難解ではなく、広いリスナー層に受け入れられたことが、成功の要因だと思われます。 もっとも、サンプラーがない時代に、手の込んだ効果音(その代表が「マネー」のイントロ)を作り上げるのは、想像を絶する労力を要する作業であったと思われます。 そんなアルバムにおいて、この曲はA面の締めくくりとなる重要なナンバー。 リチャード・ライトの弾くピアノに、デヴィッド・ギルモアが弾くペダル・スティール・ギターが絡むイントロは、「何か」が起こる前の厳かな雰囲気を醸し出しています。 そんな中に、ドラムに続いて入ってくるクレア・トーリーの鬼気迫るヴォーカル(歌詞がないのでスキャットですが)は、アルバムのタイトルである「狂気」を感じされる凄まじいまでの迫力です。 ちなみに、この曲の作曲にクレジットされていないことに関して、彼女は2004年にピンク・フロイドを訴え、2005年に和解が成立しています。内容は明らかにされていませんが、それ以降、この曲の作者には、リチャード・ライトとクレア・トーリーの2人が記載されています。

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265: Pink Floyd / Have A Cigar

フロイド、ツェッペリンときて、またフロイドに逆戻りです(笑)。 「移民の歌」を収録した『レッド・ツェッペリンⅢ』の最後の曲は「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」でした。 ロイ・ハーパーは、イギリスのシンガーソングライターですが、独特の歌詞を書くことで知られており、ポール・マッカートニー、ケイト・ブッシュ、そしてジミー・ペイジも、彼からの影響を公言するなど、非常にミュージシャン人気が高い人物です。 そして、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアもその一人。 1975年にリリースされたピンク・フロイドの9thアルバム『炎〜あなたがここにいてほしい』に収録されたこの曲では、ロイ・ハーパーがリード・ヴォーカルを取っています。 この曲、終わり方が独特で、長めのギターソロが続いている時、突然ノイズが入り、その後は音量が小さくなって終わり、次の曲「あなたがここにいてほしい」が始まります。 おそらく、ラジオのチューニング・ダイアルを回して、別の放送局を受信したような効果を出したかったのではないかと思います。 ま、今や、ダイヤルでチューニングするラジオを探す方が難しいですが... このアルバム、どうしても大作の「クレイジー・ダイアモンド」に話題が集中してしまいますが、間に挟まれた3曲のクオリティも高く、個人的にはフロイドのアルバムで一番好きなアルバムです。

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264: Led Zeppelin / Immigrant Song

子供の頃に聴いたプロレスの入場曲で、「吹けよ風、呼べよ嵐」と同じく印象に残っているのが、ブルーザー・ブロディの入場曲だったこの曲です。 「ドッドドダドッ、ドッドドダドッ」という地響きのようなドラムスと、「アアア~~~~ア~」という雄叫び。 ロックの名曲は数多くありますが、イントロを聴いた瞬間に曲が分かるという点で、この曲を上回る曲はないと思います。 1970年リリースの『レッド・ツェッペリンⅢ』のオープニングを飾ったこの曲、USではシングルカットもされ、最高位16位のヒットを記録しています。 ちなみに、全日本プロレス時代のブロディの入場曲は、ツェッペリンではなく、他のミュージシャンによるカヴァー・ヴァージョンだったとのこと。 まあ、凶暴な野獣キャラで入場時に暴れることも多かったですし、2分30秒もないオリジナル・ヴァージョンだと、入場前に曲が終わってしまう可能性がありますからね。 子供の頃に見た印象が強かっただけに、1988年、プエルトリコで急死したというニュースを聞いた時はショックでした。

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263: Pink Floyd / One Of These Days

バブルガム・ポップの1910フルーツガム・カンパニーと、プログレッシヴ・ロックのピンク・フロイド。 どこをどう考えても、つながりなどなさそうですが、実に意外な接点がありました。しかも、その舞台は日本でした。 1971年8月に箱根・芦ノ湖畔で開催された野外ロック・フェスティヴァル「箱根アフロディーテ」に、両グループは出演しています。 1910フルーツガム・カンパニーは、1970年に解散していたはずですが、日本ではまだヒットが続いていたようで、まあ「小遣い稼ぎ」だったのでしょう。元々が企画バンドでしたし。 一方、ピンク・フロイドはヘッドライナーとして招待され、大トリを務めています。「原子心母」や「エコーズ」といった、長尺ナンバーも演奏したようです。 そして、この年の11月には、アルバム『おせっかい』をリリース。そのオープニングナンバーがこの曲でした。 最初、風の音が30秒ほど続いた後、左右のチャンネルから押し寄せてくる2本のベースが、実におどろおどろしい雰囲気を作り出しています。 この曲を聴くと、子供の頃にTVのプロレス中継で見ていたアブドーラ・ザ・ブッチャーの入場シーンを思い出します。 当時は、ピンク・フロイドというバンド名すら聞いたことのない小学生でした。

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262: The 1910 Fruitgum Company / Simon Says

「○○・セッズ」というタイトルで、最大のヒット曲は間違いなくこの曲だと思われます。 1968年にリリースされた、1910フルーツガム・カンパニーの1stシングルは、このバンドの代表曲と言うだけでなく、「バブルガム・ポップ」の傑作との誉れ高い、音楽史に残る1曲と言ってよいでしょう。 一度聴けば覚えられそうなメロディ、ノリノリのリズム、そしてキャッチーなコーラス。「ポップスは斯くあるべし」のお手本のような曲です。 US4位/UK2位まで上昇し、累計売り上げは350万枚とのこと。また、日本のオリコンでも最高位7位となっています。 さらに、英語以外でもカヴァーされ、英語圏以外でもヒット曲となっています。 このバンド、元々はスタジオ・ミュージシャンによる企画バンドだったのですが、この曲がヒットしたため、実在のバンドとしてツアーも行っています。 こういうバンドにしては珍しく、「ワン・ツー・スリー・レッド・ライト(US5位)」、「インディアン・ギヴァー(US5位)」もUSトップ10入りしており、いわゆる『一発屋』ではありません。 とはいえ、元々は腕利きのミュージシャンたちなので、いつまでも子供向けのバブルガム・ポップを演奏しているのでは満足できなかったのでしょう。バンドは 1970年に解散しています。

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261: The Velvet Underground / Stephanie Says

グウェン・ステファニーの「ステファニー」は、女性のファーストネームではなく、イタリア系に見られる姓で、「ステファーニ(ファにアクセント)」と発音するのが正しいようです。 と書いておきながら、ここではファーストネームの「ステファニー」が付くこの曲を取りあげたいと思います。 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの2ndアルバム『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』レコーディング時に録音されたものの、アルバムには収録されなかったため、その後、海賊版で出回ることとなったナンバーです。 チェレスタとヴィオラのサウンドが実に愛らしい佳曲ですし、長さも3分なんだから、何とか収録できなかったのか、と言う気にもなります。ましてや、「シスター・レイ」なんて17分以上あるんだし... おそらくアルバムのもつアヴァンギャルドな雰囲気に合わないと判断したのかも知れませんが、こういう曲が入った方が、より振れ幅が大きくなって効果的なのではないかと、個人的には思います。

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260: No Doubt / Sunday Morning

「ブロンドの紅一点ヴォーカリスト」と言えば、ノー・ダウトのグウェン・ステファニーも忘れてはいけない1人。 ノー・ダウトは、1992年にデビューするも、なかなかヒットに恵まれませんでしたが、1995年リリースの3rdアルバム『トラジック・キングダム』がUS1位/UK3位の大ヒットとなり、人気バンドの仲間入りを果たします。 シンプルなポップ・ロックに、スカやレゲエの要素を取り込んでいるのが彼らのサウンドの特徴で、そこにグウェンのパワフルなヴォーカルが重なると、例えばラジオで流れた瞬間に「あ、ノー・ダウトだ!」と分かるくらいの強い個性をもった楽曲になっています。 この曲は、USではシングル・リリースされていませんが、ライヴでは必ず演奏される人気曲です。 グウェンって、美形ではあるのですが、デボラー・ハリーやマドンナのように、セックス・シンボル的なポジションで語られることは少ないように思います。理由は定かではありませんが、何となく「姉御肌」な雰囲気を醸し出しているからなのかも知れません。(ちなみに、マドンナとは遠い親戚関係とのこと) まあ、それはともかく、このMV、最後にフードファイトをやっていますが、食べ物を粗末にするのは良くありませんね。良い子のみんなは真似をしないようにしましょう。

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259: Blondie / Dreaming

デビュー曲「Xオフェンダー」から3年後、1979年にリリースされた4thアルバム『恋のハートビート』のオープニングナンバーがこの曲。 アルバムからの最初のシングルとしてリリースされ、US27位/UK2位のヒットとなっています。そして、チャートの最高位以上に、ライヴの定番曲となっています。 この曲、クレム・バークが叩くワイルドなドラムが、ひときわ目を引きます。本人曰く、「リハーサルだと思って無茶苦茶に叩いたら、そのテイクが採用された」とのこと。 そして、デビュー作ではちょっと野暮ったかったデボラ・ハリーが、ここではすっかりあか抜けたポップ・クイーンの風格を見せつけています。やっぱり、人気が自信につながっているのでしょう。

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258: Blondie / X Offender

「ブロンド女性ボーカルの紅一点バンド」と言えば、やっぱりこのバンドでしょう。 ブロンディはこれまでにも何曲か取り上げましたが、ディスコやヒップホップやレゲエと言った、ロック以外の音楽を取り入れたサウンドが評価されているように思います。 ただ、元々はニューヨーク・パンク・シーンから出てきたバンドなので、初期はストレートなポップ・ロックが中心でした。 この曲は、1976年にリリースされたデビューシングルですが、60年代ポップスの雰囲気を漂わせたナンバーとなっています。チープなオルガンのサウンドが実に印象的です。 元々のタイトルは「Sex Offender」つまり「性犯罪者」だったのですが、当時のレーベルからの要請により改題されています。 その後、メジャーのクリサリス・レコードと契約し、この曲も1stアルバム『妖女ブロンディ』に収録されています。 余談ですが、このアルバムのジャケットを、氣志團がアルバム『Boy’s Color』でパロディしていますが、なかなかの「完コピ」度です。 それにしても、このMVのデボラ・ハリー、ブロンドではありますが、何というか、野暮ったくあか抜けない印象で、後に世界中でセックス・シンボルとして注目されるスーパースターと同一人物とは思えません。 本人にとっても、黒歴史なのかも知れませんね。