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連鎖反応 [Chain Reaction]【動画】

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つながりのある曲を鎖のように連ねながら、その曲に対する思いをコメントしていきます。ほぼ毎日更新(予定)です。
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2021年4月の記事一覧

118: Wes Montgomery / Windy

1967年、ウェス・モンゴメリーはアルバム『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』をリリース。このアル…

Shiny_Shin
3年前
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117: Wes Montgomery / I've Grown Accustomed To Her Face

オードリー・ヘプバーンは、言わずと知れたイギリスの大女優。 彼女の代表作の1つ『マイ・フ…

Shiny_Shin
3年前
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116: Pizzicato V / The Audrey Hepburn Complex

ピチカート・ファイヴのヴォーカリストと言えば、野宮真貴さんのイメージが強いですが、彼女は…

Shiny_Shin
3年前
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115: Pizzicato Five / 20th Century Girl

これは、曲名が「boy」から「girl」に変わっただけですね(笑)。 サウンドは、クロディーヌ・ロ…

Shiny_Shin
3年前
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114: T. Rex / 20th Century Boy

ヘレン・シャピロは、10歳の時、いとこのスーザン・シンガーと、同じ小学校に通う少年と、3人…

Shiny_Shin
3年前
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113: Helen Shapiro / Don't Treat Me Like A Child

「涙のバースデイ・パーティ」のオリジナルはレスリー・ゴーアですが、最初に録音したのは、実…

Shiny_Shin
3年前
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112: Lesley Gore / It's My Party

一見、昨日のマイケルとは全く関係なさそうですが、「プロデューサーがクインシー・ジョーンズ」というつながりがあります。 この曲は、当時16歳だったレスリー・ゴーアのデビュー曲。1963年4月にリリースされると、6月にはUS1位の座に昇りつめます。 日本でも、アメリカン・ポップスの代表的な曲として、ほとんどの人が聴いたことがあるのではないかと思います。 当時はアイドル的な人気だったと思いますが、こうして改めて聴いてみると、やっぱり歌が上手いですね。クインシーがその才能を見出したのも納得です。 ちなみに、US1位をこの曲から受け継いだのは「SUKIYAKI」。そう、坂本九さんの「上を向いて歩こう」です。

111: Michael Jackson / Don't Stop 'Til You Get Enough

ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』と同じ1979年に、マイケル・ジャクソンは『オフ・ザ・ウォ…

Shiny_Shin
3年前
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110: Pink Floyd / Another Brick In The Wall (Part Ⅱ)

「壁」と聞いて、多くのロックファンが真っ先に思い浮かべるのは、ピンク・フロイドの『ザ・ウ…

Shiny_Shin
3年前
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109: The Style Council / Walls Come Tumbling Down

ザ・ジャムを解散したポール・ウェラーは、キーボードのミック・タルボットとザ・スタイル・カ…

Shiny_Shin
3年前
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108: The Jam / Town Called Malice

スモール・フェイセスの熱狂的信者と言えば、ポール・ウェラー。 ザ・ジャムでデビューした当…

Shiny_Shin
3年前
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107: Small Faces / Sha-La-La-La-Lee

フェイセズの前身はスモール・フェイセスですが、このバンドは、ザ・フーと並ぶモッズ・バンド…

Shiny_Shin
3年前
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106: Faces / Ooh La La

1970年代前半、ロッド・スチュワートは、ソロ活動と同時に、フェイセズのヴォーカリストと「掛…

Shiny_Shin
3年前
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105: Rod Stewart / Maggie May

70年代後半のディスコブームで、ビージーズ同様にヒットを出した1人がロッド・スチュワート。 1978年リリースの「アイム・セクシー」は、UK1位/US1位の大ヒットとなりました。(ちなみに、その後、盗作疑惑で訴訟になり、敗訴しています) ただ、この時期のロッドの作品って、正直、あまり聴いていないんですよね。 よく聴くのはソロの初期、特に2nd『ガソリン・アレイ』と3rd『エヴリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』の2枚です。 マンドリンの調べが印象的なこの曲は3rdアルバム収録曲で、1stシングル「リーズン・トゥ・ビリーヴ」のB面としてリリース。ラジオ局のDJがB面の方を気に入ったため、A面よりも流される回数が多かった、というエピソードがあります。 その結果、シングルはUK1位/US1位の大ヒットとなりますが、クレジット上は「B面」のままです。 間違いなくロッドの長いキャリアを代表する曲の1つですが、その曲がB面扱いだったというのも面白い話です。