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流体力学【Fluid Dynamics】

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流れに任せフラフラと、自由気ままに好きな曲を選曲していきます。
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2024年7月の記事一覧

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1103: Elvis Presley / Blue Moon

「ムーン」つながり。こちらは青い月。 1956年にリリースされた、エルヴィス・プレスリーの1stアルバム『エルヴィス・プレスリー登場!』(US1位/UK1位)。 まあ、問答無用で歴史に残る名盤なのですが、「キング・オブ・ロックンロール」のイメージとは異なり、様々なタイプの曲を歌いこなしていることは、見逃していけないポイントかと思います。 この曲は、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」で有名なロレンツ・ハート&リチャード・ロジャースのコンビが1934年に書いた、古いナンバー。 レコーディング当時、まだ19歳だったエルヴィスですが、余裕すら感じさせるヴォーカルには、さすがとしか言いようがありません。

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1102: Nick Drake / Pink Moon

「ピンク」つながりです。 ニック・ドレイクが1972年にリリースした3rdアルバム『ピンク・ムーン』。 多くの音楽関係者から才能を高く評価されるも、セールス面では全く成功を収めることのなかった彼の、生前最後の作品となりました。 当時の彼はうつ病が悪化しており、とてもレコーディングできるような状態ではなかったと言います。そんな中、このアルバムは彼のヴォーカルとギターのみで、わずか2日間で制作されています。 この曲は、アルバムのオープニングを飾ったタイトルトラック。この曲のみ、ピアノがオーヴァーダブされているのが印象的です。 約2年後の1974年、抗うつ薬の過剰摂取のため、26歳の若さで亡くなっています。

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1101: Wire / Mannequin

「フラッグ」つながりです。 1977年にリリースされたワイアーの1stアルバム『ピンク・フラッグ』は、ポスト・パンクの金字塔として、高い評価を得ています。 シングルリリースされたこの曲を聴けば分かるように、当時、彼らの楽器演奏能力は非常に低く、技術的に難易度の高い音楽は不可能でした。 それならばと、単純なリフとシンプルなコード進行に徹したミニマルなサウンドを、35分に21曲も詰め込むというアプローチは、ロックの常識を完全に覆すものでした。 後のオルタナティヴ・ロックにも大きな影響を与えたバンドと言えるでしょう。

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1100: Black Flag / TV Party

SSTレコードは、ブラック・フラッグのギタリスト、グレッグ・ギンが設立したインディ・レーベルでした。 ブラック・フラッグが1981年にリリースした1stアルバム『ダメージド』は、今でこそハードコア・パンクの名盤として評価されていますが、リリース当時は全く評価されることがなかったと言います。 そんな中でも、彼らの、そしてSSTレコードのバンドたちの精力的な活動が、USインディの大きな潮流を作っていき、90年代初頭のグランジ&オルタナ・ブームとして実を結んだと考えると、感慨深いものがあります。 とは言え、このMVとか見ると、正直、あまり友だちにはなりたくないタイプの人たちかなぁ~、と思ったりもします。 彼らの音楽は大好きなんですけどね。

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1099: Minutemen / This Ain't No Picnic

SSTレコードが輩出した、重要バンドつながりです。 1980年にロサンゼルスで結成されたトリオ・バンド、ミニットメン。 当初はパンク寄りなサウンドでしたが、徐々にファンク、ブルース、カントリー、ジャズ等々を取り込んだ独自のサウンドを確立し、ファン層を拡大していきます。 1984年リリースの2枚組『ダブル・ニッケルス・オン・ザ・ダイム』は、彼らの最高傑作と呼ばれ、非常に高い評価を得ますが、翌1985年にヴォーカル&ギターのD・ブーンが交通事故死し、バンドは解散します。 1990年代に「ミクスチャー・ロック」と呼ばれ、商業的に大成功を収めた音楽のほとんどは、この時点で彼らが鳴らしていたと言っても過言ではないかも知れません。 この曲は、MVが作られた貴重な曲。爆撃機のパイロットは若き日のロナルド・レーガン。リリース当時のアメリカ大統領です。

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1098: Husker Du / Makes No Sense At All

シュガー結成以前にボブ・モールドが在籍していたバンド、ハスカー・ドゥは、80年代のUSインディ・ロック・シーンにおける最重要バンドでした。 初期はハードコア・パンク寄りでしたが、徐々にメロディを重視したパワーポップ的なサウンドに変化していきます。 1985年にリリースした『フリップ・ユア・ウィグ』に収録されていたこの曲は、シングルカットされ、UKインディ・チャートで1位を獲得しています。また、アルバムも、UKインディ・チャートで最高位2位を記録しています。 このアルバムを最後に、メジャーのワーナー・ブラザーズに移籍しますが、セールス面での成功を収めることなく、1988年にバンドは解散しています。 彼らの音楽が、後のグランジ・ロックやオルタナティヴ・ロックに与えた影響は非常に大きく、多くのミュージシャンが影響を受けたことを公言しています。 ニルヴァーナのクリス・ノヴォゼリックが、自分たちの音楽を「かつてハスカー・ドゥがやってたこと」とコメントしているのが、一番象徴的でしょう。

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1097: Sugar / If I Can't Change Your Mind

「3人組のシュガー」つながり、こちらはUSのバンドです。 ボブ・モールドを中心に結成されたシュガーが、1992年にリリースした1stアルバム『コッパー・ブルー』(UK10位)。 母国アメリカよりも、UKでの評価が高く、NMEのアルバム・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。また、シングルカットされたこの曲も、UK30位のヒットを記録しています。 当時、非常によく聴いたアルバムでした。

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1096: Sugar / ウエディング・ベル

「ウエディング・ベル」と言えば、やっぱりこの曲。 女性3人のコーラスグループ、Sugarが1981年にリリースした大ヒットシングルがこの曲。「ザ・ベストテン」世代には懐かしい1曲です。 とにかく「くたばっちまえ!」という歌詞が、当時は衝撃でした。 ちなみに、この曲と同じくらい歌詞が衝撃的だった、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」(「伊代はまだ16だから」)がリリースされたのも、同じく1981年でした。

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1095: The 5th Dimension / Wedding Bell Blues

「ローラ・ニーロが書き、フィフス・ディメンションが歌ったヒット曲」は何曲かありますが、最大のヒットとなったのがこの曲。 オリジナルは、ソングライターのローラ・ニーロ本人で、1966年にシングルリリースされ、アルバム『モア・ザン・ナ・ニュー・ディスカバリー』にも収録されています。 一方、フィフス・ディメンションのカヴァーは、1969年の大ヒットアルバム『輝く星座』(US2位)に収録され、同年9月にシングルカットされると、見事USナンバー1ヒットとなっています。 この曲がヒットした時期に、メンバーのマリリン・マックーとビリー・デイヴィスJr.は結婚しています。「リアル・ウェディング」ですね。

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1094: Laura Nyro / Save The Country

「カントリー」つながりでもう1曲。 ロバート・ケネディの暗殺というショッキングな事件に触発されて、ローラ・ニーロが1968年に書いたこの曲、まずシングルリリースされ、その後アルバム『ニューヨーク・テンダベリー』(US32位)に(別ヴァージョンで)収録されています。 ヒットしたのは、フィフス・ディメンションのヴァージョン(US27位)ですが、ここは作曲者に敬意を表して、本人のヴァージョンを取りあげました。

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1093: Canned Heat / Going Up The Country

今日は「カントリー」つながりです。 キャンド・ヒートが1968年にリリースしたアルバム『リヴィング・ザ・ブルース』(US18位)から、1stシングルとしてカットされたこの曲(US11位/UK19位)。 彼らは昔のブルース音楽を「掘り起こす」名手で、この曲も、元は1927年(!)にヘンリー・トーマスというミュージシャンが録音した「Bull Doze Blues」を、大胆にリアレンジしています。 まあ、難しい話は抜きにして、軽やかな歌声と飄々としたフルートが非常に心地よい1曲です。

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1092: John Denver / Take Me Home, Country Roads

「テイク・ミー・ホーム」つながりで、この有名曲を。 ジョン・デンヴァーが1971年にリリースした『詩と祈りと誓い』(US15位/UK19位)に収録され、シングルも大ヒット(US2位)したこの曲。 50年以上前の曲ですが、世代を超えて数えきれないほどのミュージシャンにカヴァーされ続けているので、聴いたことがない人はほとんどいないと思われるレベルの有名曲です。 この曲の歌詞には「ウェストバージニア」州が登場しますが、彼の「デンバー」という芸名は、コロラド州の州都デンバーに因んでいるとのことです。 だったら、コロラド州の歌も作ってあげないと、と思うのは私だけでしょうか?(実は作っていて、私が知らないだけ⁉)

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1091: Phil Collins / Take Me Home

昨日の曲のタイトルから「トゥナイト」を取るとこの曲に。 フィル・コリンズが1985年にリリースした『フィル・コリンズIII(ノー・ジャケット・リクワイアド)』(UK1位/US1位)は、彼の全盛期の作品。 ソロ以外にも、サントラやコラボなどを多数こなし、それらをことごとくヒットさせ、「世界一忙しい男」の名をほしいままにしていました。 アルバムのラストに収録されていたこの曲もシングルカットされ、UK19位/US7位のヒットを記録しています。 ワールドツアーで回った各都市で歌う姿を収めたMVからも、当時の彼が世界中を駆け回っていた様子が伝わってきます。

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1090: Eddie Money / Take Me Home Tonight

「エディ・M」つながりです。かなり強引... アメリカのシンガー・ソングライター、エディ・マネーが1986年にリリースしたアルバム『キャント・ホールド・バック』(US20位)から、1stシングルとしてカットされたこの曲(UK4位)、ロニー・スペクターとの共演が話題になりました。 しかも、ロニーが歌っているのは、ロネッツの大ヒット曲のサビのフレーズ「♪ビー・マイ・リトル・ベイビー」そのままという仕掛け付きで、ロニーはMVにも登場しています。 今なら、サンプラーで簡単に再現できるのかも知れませんが、やっぱり本人が登場する方が、見ている者としては楽しめます。