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【社会のモノサシ】郷党的利他主義

「社会はなぜ右と左にわかれるのか」(1)
ジョナサン・ハイト、2012

要約

 道徳は進化的に獲得された情動に基礎づけられている可能性がある。その場合、道徳作用は博愛ではなく「仲間と敵を識別し、仲間に愛着を持ち、敵を憎むことで、自分を犠牲にするエネルギーを生む」という郷党的利他主義(kin altruism)だ。結束を固めることで、人間集団の戦闘力を強化する一方で、社会分断の元凶ともなる。
 郷党的利他主義を高揚するメカニズム(ミツバチ・スイッチ)がヒトに備わっている。宗教はミツバチ・スイッチのもっとも巧みな適用形式だ。分断のおおもとは郷党的利他主義なのだが、ミツバチ・スイッチがそれを大幅に拡大してしまう、という関係にある。


道徳的絶句の実験

 「私の死後、私の魂を◯◯氏に2ドルで売り渡します。これは心理学の実験であり、いかなる法的拘束力もなく、サインしたあとこれをすぐに破り捨てても、2ドルをもらえます」という契約書を提示すると、無神論者を自認する人も含めて、8割の被験者がサインを拒否する。しかし、なぜサインしないのか、合理的な説明ができない。このように「好悪は判断できるが、合理的に説明できない」ストーリーがたくさん見つかっている。道徳は情動を基盤としており、意識はその説明役にすぎない、という可能性がある。

 西欧の道徳研究はながらく理性を重視してきたが、1970年ころから、心理学者や脳科学者によって情動の重要性が明らかにされつつある。たとえば、前頭前皮質腹内側部に損傷を受けると情動が欠落するとともに、意思決定ができなくなることが知られている。また、サイコパスは、同情、罪、恥、きまりの悪さをまったく感じないが、それ以外は正常な思考力をもっている。

道徳的情動が政治傾向を決める

 異なる文化地域の道徳比較を通じて、共通的な道徳的情動を分類、リスト化した。以下「○○/××」の表記は「○○を善、××を悪と感じる」ことを意味する。

ケア/危害: 「子どもをケアする」ために生じた。他者の苦痛に共感し、残虐性を嫌悪し、苦痛を感じている人をケアするように私たちを仕向ける。

自由/抑圧: 「集団を腕力で支配しようとする乱暴者を弱者が結束して排斥する」ために生じた。抑圧者に対して義憤を感じ、抗戦する。

公正/欺瞞: 「他人につけ込まれないようにしつつ協力関係を結ぶ」ために生じた。利他的人物を見分け、ペテン師を避けたり罰することで、フリーライダーを排斥しようとする。

忠誠/背信: 「連合体を形成し維持する」ために生じた。チームプレイヤーには信用と報酬を与え、裏切り者を傷つけ、追放し、ときには殺したいと思わせる。

権威/転覆: 「階層的な社会のなかで有利な協力関係を形成する」ために生じた。階級や地位を尊重し、人々が分相応に振る舞っているかどうかについて私たちを敏感にする。

神聖/堕落: 「食料獲得のために雑食化した結果、食中毒を予防する」ために生じた。群居し家畜を飼うようになると病原菌や寄生虫にたいする行動免疫システムとしてさらに進化した。

 ハイトはこれらをもとに道徳基盤質問票(MFQ)を開発し、政治的傾向(保守かリベラルか)と合わせて大規模なアンケート調査を行った。

 リベラルも保守も、ケア・自由・公正を尊重する点は共通している。ただし保守が、忠誠・権威・神聖も同様に尊重するのに対し、リベラルは軽視する。

 リベラルも保守も自由・公正を尊重するが、両者で発動メカニズムが異なる。リベラルの「自由」は弱者の抑圧に対する反抗として「ケア」「公正」と同調して発動される。このときの「公正」とは平等主義を意味する。
 保守の「自由」は自身の自由や立場への侵害に対する反抗として発動される。このときの「公正」とは努力や貢献に応じて対価を分配する能力主義的比例配分を意味する。
 また「神聖/堕落」という雑食動物のジレンマは「新奇好み(ネオフィリア)」と「新奇恐怖(ネオフォビア)」という反対方向の傾向性をもたらす。リベラルはネオフィリアの傾向、保守はネオフォビアの傾向が強い。 

 道徳的情動のバランス差異が政治的分断を生むということは次のことを意味している。① 道徳的情動の作用は博愛ではなく「仲間を愛し敵を憎む」という郷党的利他主義だ。仲間を認識するというメカニズムは、同時に敵を生み、闘争も生む。② 政治的分断を生むのに十分なほど道徳的情動の多様性が大きいのだとしたら、合理性だけでは解決できない、③ 民主主義では情動分布のマジョリティに訴えることができれば与党になれる。もし、野党がなかなか与党を打倒できないならば、政治信条や政策が現実の情動分布と調和していないということだ。

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