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【経済のモノサシ】 ポラニー「大転換」1944 (2)

政府による社会防衛とその敗北

 イギリスでは、囲い込み(エンクロージャ)で定住地を失った農民が賃金労働者となり、浮浪する貧民が増加した。イギリスの貧民対策は、旧救貧法(1601)、スピーナムランド法(1795)、新救貧法(1834)、という3ステップの歴史で構成されている。

 スピーナムランド法が、就労か失業かを問わず一定の賃金水準に足らぬ者にその不足額を給付した結果、労働者は労働意欲を喪失し、企業は賃上げ意欲を喪失した。これをもって「労働市場は飢餓の恐怖がなければ機能しない」ことを経済学と中産階級は確信した。
 しかし「飢餓の恐怖は労働市場そのものに内在する論理的帰結であって、スピーナムランド法は人々を飢餓から守ろうとして失敗したにすぎない」というのが私の主張だ。つまり自己調整的労働市場こそが、人々からコミュニティを奪い去ることで、自分ただ一人が餓死する恐怖を現実のものとするのであり、だからこそ、労働の市場化によって史上はじめて飢餓が唯一の労働動機となったのだ。

 旧救貧法が機能していたのは、人々が定住し、教区コミュニティに守られるとともに、労働に誇りを感じていたからだ。個人を飢餓から守り、かつ誇り高く働くことを求める。これは教区コミュニティの育んだ慣習だった。旧救貧法は、労働者の浮浪化で崩壊しつつある教区単位行政を建て直そうとしたものだった。
 ところが、産業革命による賃金労働の拡大によって、定住地を離れ浮浪する賃金労働者が増大し、同時に浮浪する貧民も増大した。保護対象者が浮浪するので、もはや教区ごとに保護できない。スピーナムランド法では失業者にも貧民にも一律救済給付する以外に選択肢がなかった。その結果、労働と雇用の倫理的退廃をもたらした。

 しかし、この退廃は、そもそもはコミュニティの破壊によってもたらされたのであり、コミュニティ不在の労働法制が無力であることの証拠に過ぎない。人々が貨幣のために働くようになったのは賃金労働市場に投げ込まれたからだ。古来、人は人のために働いてきた。だから、コミュニティ喪失とともに労働動機も喪失したのだ。

経済学の誤解

 タウンゼント、マルサス、リカードは、重商主義と産業革命が生み出した労働の商品化、定住法廃止、それに対処しようとしたスピーナムランド法の失敗という特殊な経緯を観察して「飢餓こそは労働の最大動機だ」「飢餓と労働という自然力の調整に任せれば人々は労働を通じて高い生産性を発揮する」「自然的調整が機能するには失業、貧困、飢餓の存在はさけられない」と結論した。

 実際には「コミュニティを喪失した労働者は労働動機を喪失し、飢餓に無防備となる」という史上初めて出現した状態を観察したにすぎない。初期社会主義者オーウェンだけは「最低限の生存を工場に依存することが、飢餓を許容するばかりでなく、コミュニティを破壊し、労働の価値を貶めることを通じて社会を破壊するだろ」と指摘したが、彼でさえも自己調整的市場と貧民問題解決は両立できると楽観していた。

自己調整的市場の拡大がファシズムを生む

 人間・自然・価値システムを擬制商品化したものが労働・土地・貨幣であり、市場における自然な自己調整とは、実は文字通りの生存競争だ。だから自由放任による市場の変動は、人にも企業にも破壊的な影響を及ぼし、熾烈な闘争を生みだす。問題が顕在化するたびに政府は社会防衛的立法と財政でその影響を緩和しようとしてきた。これら社会防衛の歴史を仔細に振り返れば、自己調整的市場によって社会が自己調整されたことなど一度もなかったことは明らかだ。

 しかも重商主義国家は、軍備のために経済力を必要とする。軍備は兵士(労働者、農民)を必要とする。一方、経済力は中産階級を必要とする。だから中産階級と大衆の両方が発言力を持つ。しかも、自己調整的市場は階級闘争を熾烈化するだけで、解決しないから、ファシズムが台頭する。ファシズムとは行き詰った自己調整メカニズムのビジョン無き破壊だからだ。

 自己調整的市場は自然発生したものではない。1834~1846年にイギリスで法律(新救貧法)によって生みだされたものだ。それが列強共通の経済的自由主義となったのちも、イギリス自身を含めて諸国は頻繁な社会防衛的立法で市場に介入していた。「政府介入なくして存続しえない自由放任」という歴史的現実が経済的自由主義の非現実性、非科学性を実証している。
 それでも英米は最後まで経済的自由主義の維持にこだわったが、逆にそのことは、ファシズムが勝機を見出す機会も提供した。英米から遅れをとった諸国にとっては、破綻しかけている世界システムをいち早く見限るという選択肢が浮上するからだ。

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