【社会のモノサシ】ミツバチ・スイッチ
「社会はなぜ右と左にわかれるのか」(2)
ジョナサン・ハイト、2012
要約
道徳は進化的に獲得された情動に基礎づけられている可能性がある。その場合、道徳作用は博愛ではなく「仲間と敵を識別し、仲間に愛着を持ち、敵を憎むことで、自分を犠牲にするエネルギーを生む」という郷党的利他主義(kin altruism)だ。結束を固めることで、人間集団の戦闘力を強化する一方で、社会分断の元凶ともなる。
郷党的利他主義を高揚するメカニズム(ミツバチ・スイッチ)がヒトに備わっている。宗教はミツバチ・スイッチのもっとも巧みな適用形式だ。分断のおおもとは郷党的利他主義なのだが、ミツバチ・スイッチがそれを大幅に拡大してしまう、という関係にある。
ミツバチ・スイッチ
通常ヒトは個体の生存本能に基づいて行動する。しかし状況によってはミツバチのような利他行動をとる。人間は10%くらいミツバチだ。
フランスの社会学者エミール・デュルケーム(1858-1917)は宗教が情動に根ざすものだと主張し、集団的な儀式によって引き起こされる熱狂や陶酔を「集合的沸騰」と名付けた。「集まるという行為そのものが、並外れて強力な刺激として作用する。ひとたび個人が一か所に集まると、その緊密さによって一種の電流が発生し、集まった人々をただちに異様な高揚へと導く」
歴史家マクニールは、この高揚を「私は」が「われわれは」に、「私のもの」が「われわれのもの」になる瞬間、と表現した。おそらく、この高揚が「利他性」のエネルギーとなるのだろう。
ミツバチ・スイッチとは郷党的利他主義を促すスイッチのことだ。① 集団の類似性を高める(共通の目標、習慣、服装、言葉など)、② 共通の儀式で同調性を高める(一緒に行進、体操、ダンス、歌ったりお祈りする、日本企業の朝の体操や社訓唱和もこれ)、③ 小集団で健全な競争をする(チーム競技や団体戦すべて。逆に個人へのボーナスはこの原理に逆行している)、など。いずれも、現代の政治、企業、軍隊、教会などで一般的に行われていることだ。
ミツバチ・スイッチの生物学的メカニズム
ホルモン
ミツバチ・スイッチの生物学的メカニズム候補のひとつはホルモン、なかでもオキシトシンが最有力だ。一般に愛情ホルモンとも呼ばれるが、博愛を促すわけではない。郷党的利他主義を促すように作用する。被験者集団をチームに分けてコンピューター対戦ゲームをさせる実験で、オキシトシンを摂取した場合とそうでない場合を比較することで確かめられている。
ミラーニューロン
もうひとつのメカニズム候補はミラーニューロンシステムだ。大脳皮質の一部は、他人の動作を見ても、自分がそれと同じ動作をしても、どちらの場合も同じように発火する。しかも他人の動作で発火した際に、自分が身体的に同じ動作をするわけではないから、意図の共有や学習のための装置と考えられている。
この場合も、ミラーニューロンの発火で共感と反感のどちらを生じるかは、行為者と観察者の関係が友好的かどうかと相関することも確かめられている。
どちらの場合も、社会性動物としての戦闘力を向上させることに役立つようになっている。
道徳と宗教と無神論
集団が結束を強め、フリーライダー問題を解決し、他集団との生存競争に勝利するために、宗教が役立つという証拠は、多数見つかっている。たとえば19世紀に米国で設立された200のコミューン(共同社会)を研究したリチャード・ソシスによると、宗教的コミューンの39%が20年を超えて存続した。一方、非宗教的な社会教義(社会主義的原理など)に依拠するコミューンの20年存続率は8%だった。
宗教が歴史的にも地域的にも普遍的に観察されているという事実は、宗教がミツバチ・スイッチのもっとも巧みな適用形式であったことを示唆している。しかし、現代においては宗教が政治的社会的な問題を引き起こしていると見なされることも多い。ただし、宗教だけを敵視する無神論は以下の点を見逃している。
道徳がヒト進化の結果であるという仮説が正しいならば、道徳とは仲間を愛し敵を憎むという郷党的利他主義の本能ことだ。宗教はミツバチ・スイッチを最大限活用することで道徳的情動を強化した共犯者に過ぎない。宗教という共犯者を敵視し、道徳的情動という主犯を擁護するという議論の仕方に将来的展望が見込めるだろうか?
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