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自分と違うことを受け入れ、楽しむ

何かを判断する時、皆自分というフィルターを通して判断している。その判断基準は、育ってきた環境、これまでの経験によって形作られている。そのため、判断基準は十人十色である。

1例を挙げると、「食事中にテレビを見るかどうか」。私はテレビを見ながら食事をすると、テレビに夢中でごはんをこぼしてしまったりして行儀が悪いので、食事中はテレビをみてはいけませんと子供の時に親から言われた。しかし、私のパートナーの家庭では、一家団欒の時間としてテレビを見ながら食事をとっていたとのことであった。全く逆である。これはほんの一例に過ぎないが、育ってきた環境で自分が正しいと思うことは人によって違う。

問題は、その違いに出くわした時にどうするかである。皆さんも同じような経験をしたことが必ずあると思うが、どうしているだろうか?

私はできるだけその違いを楽しむように心掛けている。「へえー、そんな風に考えるんだ」とまずは違いを受け入れ、さらに掘り下げる。そのように判断するに至った、背景、これまでの経験について話をすると、「なるほど!」と腑に落ちることも多い。

誰しも自分が好きである。そして自分が正しいと思っている。
自分の考えを否定されていい気持ちがする人はいない。
しかし、一度違いを受け入れて、さらに話を進めると、その人と今まで以上に深い関係ができることもある。皆さんにも、違うことを楽しみながら、対話を続けて欲しいと思う。

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