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改めまして自己紹介😌〜前半〜

これまで、いくつかnoteを書いてきましたが、改めまして私が何者なのか
今回は改めて自己紹介をさせてもらいたいと思います!
誰かの人生の希望になればと思うので、
包み隠さず全て話します✨

・1998年、25歳
・宮崎県出身
・現在は大阪に住んでいます!
・海に囲まれた自然豊かな場所で生まれ育ったので、海や自然が大好きです😆

宮崎の大好きな景色🌴


子どもの時代👧

小さい頃から、好奇心旺盛で、憧れたものはとことん好きになる子でした
目立つことが好き、想像するのが大好きでした
神経質で真面目で曲がったことが嫌い
2人姉妹の長女でもあり、リーダーやみんなの前に立つことも好きでした
学級委員長、生徒会長、部活の部長をやってきました笑

小さい頃は大人って楽しそうだなて思ってました
保育園に行ってる時には保育園の先生になりたかったし
テレビドラマを初めてみた時には、女優さんになりたかった
小学生で叔母の結婚式に参加した時にはウエディングプランナーが夢でした

そして、小学3年生の時におばちゃんが妊娠・出産、身近で人の誕生を体験し、
なんて神秘的なんだ!と感動🥹
そして、従兄弟のお世話をしていく中で、赤ちゃんが大好きになり、赤ちゃんに携わる仕事がしたい!と思うようになりました

学生時代👩‍🎓

小学校高学年、中学生になると人間関係で悩むことも増えました
曲がったことが嫌いで、神経質で、真面目な私は
不真面目な子たちが嫌いで、授業中少しでも周りの子達はうるさいのが嫌でした
間違っていることをしている子がいれば先生にすぐに言いつけていたし(笑)
違うと思うことがあれば、先生でも自分の意見を言っていました

また、流行り物とかには全く興味がなくて、友達と世間話や友達の話をしていても楽しくなかった
目の前のことよりも物事の根っこの部分が気になるし、深めることが好きでした

そんな性格の中、年齢を重ねるごとに、みんなと違う自分に私って変わってるのかな〜と思うようになってきました
このままでは、友達がいなくなってしまう
でも、学校の中で孤立することほど怖いことはなかった
それを感じていた私は、真面目な自分を隠すようになり、カーストが上の子たちに気に入られて、ひっついて過ごすようになりました

人生初めての挫折経験〜大学受験〜

そして、高校生になり、大学の受験シーズン
これまで、どちらかといえば、優等生で努力型で人並み、それ以上にできていた私ですが
学校で国公立に行く人が評価されていた中で、受験が思うようにいかないことにメンタルを崩しました

周りがどんどん、進学先が決まっていく、できない私が受け入れられなくて、どんどんメンタルが壊れていきました
涙が止まらない日々、自分のことが大嫌いで、自分に自信がなくなりました
そして、その頃から、考え方の違いから母親とぶつかることが増えました
みんなが心配して、腫れ物に触るように私に関わる
それさえも嫌だった
当時お付き合いしていた彼氏は唯一の味方で、私は当時の彼に依存していました
しかし、その彼にも、私のメンタルが不安定なことで負担をかけ、お別れすることに

受験に失敗し、失恋、家族も大嫌い
どん底まで落ちました

どん底から這い上がれた

結果、系列の看護専門学校に進学

大学に行けなかった劣等感
彼氏のいない私
全てがダメダメな私

本当に苦しくて、でも、どん底まで落ちたからあとは這い上がるしかなかった

自分を変えたかったから、たくさんの自己啓発本を読むようになりました
高校3年生の時に、全く覚えていないのですが、講演にきてくださった方が、ノートに毎日いいことを3つ書くとポジティブになれるということを話されていることを聞いて、そこから初めて、ノートを書くということを始めました

でも、その中でも私には、まだ「助産師になる」という夢がありました
この時はまだ確信していなかったのですが
失恋した経験から

「自立した女性になる」

この時、強く思いました!
実は、まだ未練があり、絶対に自立した女性になって振り向かせて見せる!とこのエネルギーがすごく大きな力になっていたと思います🤣
そして、赤ちゃんが好きだったと同時に、図書室にあった本で、“助産師は唯一女性しかなることのできない、そして、開業もできる自立した職業“という文を読みこれしかない!と思いました

エネルギー全開!人生二度目の受験

看護学生として看護師の勉強もしながら、助産学校の受験も同時に進めていました
私にとって受験はトラウマでした
また落ちるのではないのか・・・
助産学校は全国的にも数が少なく、倍率も高く、狭き門
学校の中から、過去に受験した症例も少なく、みんなが就職していく中、1人だけ就活をせずに受験をしているのは正直不安もありました

そして、何より初めは誰も応援してくれませんでした
親や親戚は、大学受験の時の私を見ているから、安全な道を進んでほしいと
学校の先生も、過去に助産師を目指すと言って、あきらめてきた生徒をたくさん見てきたから、誰も真剣に取り合ってくれませんでした

でも、本気だったから、誰がなんと言おうと関係なかったし、自分の力以上の力を出せました
自分で資料をまとめて親や先生にプレゼンしたり、毎日計画立てて勉強でき、3年生の夏頃には周りも応援してくれるようになりました

結果・・・・

合格できました!!

あの時、先生たちと抱き合って泣いて喜んだ感動は忘れられません😭

地元を離れ、大阪への進学

初めて親元、地元を離れ、大阪にやってきました
助産学校合格という学校での偉業を成し遂げ、田舎からやってきた私
助産師を目指している私だったのが、助産師を目指している人たちの中の1人になりました
そして、私よりすごい人ばかりでした
この学生時代楽しかったけど、私を潜めて過ごしていました

念願の助産師に

そしてやっと念願の助産師に!
しかし、現実は描いていた理想と大きくかけ離れていました
学生から社会人になり、当たり前のことが当たり前にできない
その上、たくさんの覚える仕事
できなくて当たり前なのに、できることが1つもない私に幻滅
先輩たちの言葉が全て自分を責めている言葉に聞こえる
脳内では全力で自分を責めていました

人生二度目の挫折、絶望

助産師の世界では、最低でも3年、一般的には5年は同じところで経験を積む必要があるという暗黙のルールがあります

毎日、職場と徒歩5分の家(寮)の行き来
休みの日も外に出れない、外に出て遊びに行っても何も楽しくない
夜になれば、勝手に涙が出てきて、止まらない
こんな毎日を5年続けないと行けない・・・

そう思うと人生絶望でしかなかった
生きている意味がわからなかった

なんのために生きているんだろう
なんのために働いているんだろう

どこかに助けを求めたかった
でも、どこにも助けを求められなかった
精神科に行けば、きっと診断名がついていた、多分仕事もDrストップになっていたと思う
でも、そんな自分さえ許せなかった
絶対に親は、心配して助けてくれた、
でも、それがわかってたから、親には一番言えなかった

普段、落ち込むことはあっても、メンタルの本を読んだり友達と楽しいことをすれば復活してた
でも、この時期は1年間、何やってもずーっとどん底から抜け出せない感覚でした

そんな時、ある出会いによって、私の人生が変わっていきます



長くなってしまったので、後半は次へ続きます・・・🫶

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