過去世の話(3)思い出した四つ目の過去世の記憶
前回の過去世の記憶の続きです。話半分で聞いてください。
さて、四つ目は。
第二次世界大戦の時、ユダヤ人の神父でしたがナチスの収容所に入れられてしまいました。その収容所では、順番に処刑されてしまうのですが、ある若い男性の身代わりになったようです。その男性の悲しみと恐怖がものすごく、つい、代わったのかもしれません。神父だから、ということもあったからかもしれませんね。
この過去世のためか、今世では先端恐怖症です。とがったものは、苦手です。包丁とか、針とか。今でも怖くて落ち着きません。
でも、自分一人が代わりになったとしても、根本的な問題は解決されないと思ったようです。自己犠牲は素晴らしいと言われますが、それに意味があったのかと感じたようです。それは、その過去世で自分が信じてるキリスト教に対する思いにも影響を与えたような気がしています。
今思うのは、自己犠牲というのは美しく見えるかもしれませんが、本当にそうなのか?と。。。まずは、自分を大切にすることが大事で、自分のことを考えることは悪いことではないということかと感じています。そのために思い出したのかもしれません。
代表的なものとしては、以上です。でも、過去世は誰にでもあることで過大評価せずに、そういうこともあったかもしれないなぁ。。。くらいに受けとめるのがちょうどいいかと思ってます。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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