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一日一日不平等は積み重ねられていく。

こんばんは🌇強迫症のボクです。

今日は人生は不平等から始まっているのではと思ったことについて書きたいと思います。

まず今日の話はそんなに楽しい話ではないので、暗い話が苦手な方はここでnoteを閉じるのをおすすめします。

以前紹介させていただいたこともある『体験格差』という本から最近よく考えることがあります。その前にもう一度『体験格差』の本のリンクを貼っておきますので興味のある方は買ってみてください。

この本は本当に内容が面白く読みやすい本でしたのですごくおすすめです。読書が苦手な方でもすんなり読めてしまうと思います。

さて本題に戻りますが、この本を読んでよく感じることは人生は不平等から始まっているよなということです。

例えば習い事を習いたくても金銭面や場所的な問題などから、子どもがその習い事を断念しないといけないということも生じ得ます。

仮にその子がピアニストになる才能があったとしても、上記のような場合その道は閉ざされてしまうということです。

ボクも最近思うのは小さい頃からいろんなことを体験しておけばよかったということです。ボクは最近になって、キックボクシングをやり出したいと思いました。

その理由は子どもの頃は子どもの頃はキックボクシングにふれる機会がなかったというのが一つの理由です。小さい頃からキックボクシングをやっていったら、自分にその道が向いているのか向いていないのかハッキリとしていたかもしれません。

しかし、今までやってこなかったのでそれすらもわかりません。おそらくキックボクシングにふれる機会がなかったのは、親がキックボクシングを危ないと認識しているということもあったのではないでしょうか。

パンチや蹴りで攻防をするわけですから、確かに危険な面もあります。しかし、ボクとしては小さい頃から経験している方がそれが危険なのか危険そうではないのかハッキリわかって良かったのではないかなと思います。

小さい頃は、ボクも兄弟がいるのでやはり年下の兄弟の面倒をみるので親が忙しかったりして送り迎えがある習い事などは基本難しかったです。

ボクは小学生の頃は塾には行っていなかったので、勉強ばかりの生活というわけではありませんでしたが、そろばん教室には週5日ぐらい通っていました。

そのおかげでそろばんはできるようになったのですが、逆にいうとあまりそれ以外のことにチャレンジできなかっだなあと思います。

最近は中学受験などのために、小学生から塾へ行かせる親が増えてきているそうなのですが、子どもが塾へ通いたくないなら、正直通わなくても良いのではないかなと思います。

ボク自身ロースクールまで出ていて、ある程度の学歴はあると思いますがそんなに学歴だけが大事だとは思いません。

むしろ小さい時の経験はその時しかできないので、色んなことに挑戦させてほしいなと思います。

ただ一方で塾に通いたくても通えない子がいるというのも現実です。親に無理矢理通わされている子もいれば、通いたくても通えない子もいる。これは塾に通えるか通えないかの格差だけではなく、やりたくないことをやらされたり、やりたくてもできないという人がいる一方でやりたくない事はやらされないし、やりたい事をやらせてもらえるという人もいるため、その意味での格差も生じていると思います。

ボクはやはり大人になってから大事なのは学歴ではなく、経験だと思っています。例えば塾講師にしても学歴があるから人に教えられるのではなく勉強したという経験があるから人に教えられるのです。いくら学歴が良くても勉強のやり方がわからなければ、お役御免です。

これまでの話を通して何を伝えたいのかというと、子どもの頃の体験の差がその後の人生の差にもなってくるという点で、初めから不平等は生じていっているということです。

例えば受験などは平等と言われますが、正直それも間違いだと思っています。なぜなら一日一日不平等は拡大していっているため、受験期になれば平等になるというのはないからです。

つまり大人になってからの不平等も子どもの時からの不平等の延長線上にあると言えると思います。

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