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徐州大虐殺〜曹操最大の危機〜

三国志最大の英雄、曹操。孫子に注釈をつけるほどの兵法家であり、諸制度を刷新し次世代の礎を築いた大政治家であり、はたまた文学の宣揚を行い、自身も詩をこよなく愛し吟じた文化人であり、"非常の人"と称された男である。まさにオールマイティーと言っても過言ではない人物だが、実は曹操も怒りに身を任せて暴走した結果、滅亡の寸前にまで追い込まれることとなったのだ。徐州大虐殺。曹操最大の失策と言ってもいいこの出来事について書いていこうと思う。

虐殺の舞台となった徐州。軍歌”麦と兵隊”でもおなじみである。


・曹嵩の死
 徐州大虐殺の前まで曹操は兗州という場所を拠点に勢力を拡大していた。曹操は兗州の生まれではないが、反董卓連合の際に曹操を見込んだ鮑信と言う人物が兗州の有力者であり、鮑信のつてで兗州に拠点を置くこととなった。兗州には黄巾の残党である青州黄巾が跋扈しており、鮑信を失うなどの被害を被りながらもこれを屈服させた。青州黄巾は、大変強く曹操の軍事行動を支える原動力となった。
 さて、こうして兗州を拠点に活動をしていた曹操だが、突然事件は起こった。曹操の父・曹嵩が徐州牧の陶謙によって殺害されたのである。この曹嵩殺害には、当時の政治的な争いが関係しており、ざっくり言うと袁紹派と袁術派の政治的抗争が関係している。陶謙は袁術派であり、曹操は袁紹派であった。陶謙としては曹操の父親が自身の治める徐州にいるとなると放ってはおけない。こうして陶謙は曹嵩殺害に至ったのだ。


・報復の代償
 当然、曹操はこれに対して報復を行う。しかしやり過ぎてしまった。陶謙の勢力を叩くならまだしも、全く無関係な徐州の人民にまで怒りの矛先を向けてしまったのだ。多くの無実な人々は殺され、徐州を離れるものまで続出した。この際、徐州を離れた人物に諸葛亮や魯粛、張昭らがいる。諸葛亮はのち劉備に仕え、草盧対に基づき曹操を苦しめ、魯粛は天下三分の計を唱え、のち孫権に帝位を称する根拠を与え、張昭は孫呉の大黒柱として国政を支えた。つまり徐州大虐殺は後々まで曹家を苦しめる遠因にもなったのだ。

諸葛亮。神算鬼謀の軍師の傍ら、パリピとしても有名である。
魯粛。三国演義被害者の会副会長でもある。(会長は周瑜。)


 さて、徐州大虐殺が曹操に与えた直近の影響を見ていこう。徐州大虐殺を受けて大きく動揺したのがまだ曹操に仕えて日の浅い兗州名士たちだ。名士たちは名声のもと成り立っており、関係のない人民を大量虐殺するような君主に仕えていることは自身の評判に関わるため、曹操のとった行動に猛反発する。曹操批判の急先鋒となったのが長老の辺譲であった。曹操は火消しのため辺譲を殺害するが、これがますます火に油を注ぐ結果となり、陳宮ら兗州名士は曹操を見限り、呂布を兗州に招いた。この動きに兗州の人々は反応し、次々に曹操の拠点は失われ、最終的には范・東阿の2城のみとなってしまった。曹操は感情に身を任せた結果、生涯最大の危機を迎えることとなった。


・その後
 しかし、天は曹操を見放さなかった。曹操の協力者である荀彧や程昱(兗州名士だが、曹操を見限らなかった人物)が必死に范・東阿を守ってくれたのだ。曹操はこの2城を拠点に一年をかけて、なんとか兗州を取り戻した。
 だが、兗州を完全に回復したわけではなかったため、新たに根拠地を求めることとした。それが潁川郡であった。この土地は荀彧の故郷であり、また荀彧は潁川名士たちのボスにあたるような人物であったため、潁川名士の支持も受けやすかった。曹操は潁川郡を新たな拠点とし自身の勢力を広げていくこととなるのだが、荀彧の提言をある程度は入れる必要も生じた。

荀彧。曹操に”わが子房”と称され、その能力を評価された。しかし、
この二人の関係は悲劇的な結末をたどることとなる。
程昱。張飛・関羽を一万人に匹敵すると評した人でもある。


 例えば、献帝の擁立だ。荀彧は漢室の復興を目指しており、多くの潁川名士がこの考えに賛同していた。また、徐州大虐殺による自身への負のイメージを払拭するためにも献帝を擁立することは非常に大きな武器となった。しかし、これは曹操が君主権を強化し独自の路線を歩もうとするのを阻むことにもなる。献帝の擁立イコール漢室の復興だからだ。
 また、潁川名士の政権参画も挙げられる。荀彧の推薦により、数多くの潁川名士たちが曹操の陣営に入った。郭嘉、陳羣、荀攸(荀彧の兄)、鍾繇など著名な人物が数多く登用された。彼らは曹操を大いに支え、時に対立しながらも共に歩んで行った。
・まとめ
 以上が徐州大虐殺が曹操に与えた影響であるが、復讐の代償は高くついたことが分かる。曹操は赤壁の戦いに敗れた後や、定軍山の戦いで敗れた際に敗因をもちろん考えたであろうが、まさか若きの至で起こしてしまった大虐殺が遠因となっていることを気づいていたのだろうか。知ったとしたら、大いに嘆息したことだろう。酒を飲み、詩を吟じながら。


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