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主に歴史のことを書いていきたいと思います。日々勉強!

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最近の記事

劉備~筵織りから皇帝へ~(中)

・荊州での日々  諸国を転々とし、一時曹操のもとに仕えていた関羽とも合流した劉備は荊州の劉表のもとに身を寄せた。劉表は、劉備の将として実力を鑑みて、劉備を新野に配置し、曹操の備えとした。袁紹を破った曹操は、夏侯惇や于禁らに大軍を与え荊州を攻めさせた。劉備は、わずかな兵を率いてこれを迎撃。のちに言う博望坡の戦いである。この戦いで劉備は寡兵ながらも大軍を翻弄し、撃退することに成功している。三国演義では諸葛亮の初陣であり、諸葛亮が鮮やかな采配を披露したことで、諸葛亮に疑念を抱いて

    • 劉備~筵織りから皇帝へ(前)~

      ・三国演義の主人公として 三国演義の主人公劉備玄徳。仁の人として描かれ、漢末の乱れ行く世を嘆き、義兄弟の関羽・張飛と共に立ち上がる。漢室を復興し、平和の世を実現するために数々の強敵と戦う。中でも、曹操は強大な敵であり劉備は何度も敗れた。しかし、自身の志を決して捨てず最終的には皇帝にまで上りつめた。こうした、劉備の不屈の精神、そして高邁な理想に数多くの読者が心打たれ、時代を超えて三国演義は読み継がれているのだが、史実において劉備玄徳とは一体どのような人物だったのか。詳しく見てい

      • 徐州大虐殺〜曹操最大の危機〜

        三国志最大の英雄、曹操。孫子に注釈をつけるほどの兵法家であり、諸制度を刷新し次世代の礎を築いた大政治家であり、はたまた文学の宣揚を行い、自身も詩をこよなく愛し吟じた文化人であり、"非常の人"と称された男である。まさにオールマイティーと言っても過言ではない人物だが、実は曹操も怒りに身を任せて暴走した結果、滅亡の寸前にまで追い込まれることとなったのだ。徐州大虐殺。曹操最大の失策と言ってもいいこの出来事について書いていこうと思う。 ・曹嵩の死  徐州大虐殺の前まで曹操は兗州という

        • 黄巾の乱〜儒教への挑戦

          光和7年(184年)、頭に黄巾を巻いた人々が蜂起した。のちに黄巾の乱と呼ばれるこの反乱は、時の中国王朝・漢帝国(後漢)を混乱の渦へと陥れ、崩壊するキッカケとなった。  さて、この黄巾の乱だが、純粋になぜ叛徒たちは黄色い布を頭に巻いたのだろうと思う方が多いのではないだろうか。山川出版社の黄巾の乱の解説を読んでみると"黄色は漢朝の交代を示すもの"とある。つまり、五行説に基づいたものであることがわかる。五行説とは中国に伝わる宇宙論であり、世の物質は木→火→土→金→水→木.....と

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