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黄巾の乱〜儒教への挑戦

光和7年(184年)、頭に黄巾を巻いた人々が蜂起した。のちに黄巾の乱と呼ばれるこの反乱は、時の中国王朝・漢帝国(後漢)を混乱の渦へと陥れ、崩壊するキッカケとなった。
 さて、この黄巾の乱だが、純粋になぜ叛徒たちは黄色い布を頭に巻いたのだろうと思う方が多いのではないだろうか。山川出版社の黄巾の乱の解説を読んでみると"黄色は漢朝の交代を示すもの"とある。つまり、五行説に基づいたものであることがわかる。五行説とは中国に伝わる宇宙論であり、世の物質は木→火→土→金→水→木.....と循環しているという考え方だ。

五行説の図。論理的な理解は少し難しい。

この考え方は王朝の変遷に際してよく当てはめられてきた。これらのことから、叛徒が黄巾を巻いたのは自分達が漢王朝に取って代わると言った意思表示であることは反乱の目的を鑑みても納得いくものだろう。しかし、それだけではないのだ。それは、黄巾側の反乱に際して掲げたスローガンを見ると分かってくる。
 黄巾側のスローガンは、
"蒼天已に死し、黄天当に立つべし。歳は甲子に在り。天下大吉。"である。注目してもらいたいのは"蒼天已に死し、黄天当に立つべし"の部分。現代語訳すると、"蒼天は已になくなり、黄天が取って代わるに違いない"。ここでの黄天とは黄巾のことを指す。となると、蒼天は必然的に漢朝のことを指すというのが予測できるだろう。しかし、ここで一つの矛盾が生まれる。漢朝は蒼天では表されないのだ。漢朝は五行説に則ると、火徳であるので"赤天"と表されるべきなのだ。つまり、黄巾のスローガンがアンチテーゼとしているのは漢朝ではないのだ。では、何をアンチテーゼとしているのか。
 それが、タイトルにもあるように儒教なのだ。黄巾の乱は、よく農民反乱と説明されるが、実は叛徒を結びつけているものに太平道という宗教がある。太平道とは張角が創始したとされる当時の新興宗教、今風に言うとカルトであり、符水(おふだと霊水)を用いて人々の病を治していた。

張角(イメージ)。魔法使いでも超能力者でもない。

この太平道が世の混乱に乗じて広がっていき、各地方に方と呼ばれる教団ができるまでになっていった。この太平道という宗教だが、実は黄老思想の流れをくむものである。黄老思想とは、中国の伝説上の皇帝である黄帝と、道家の始祖である老子を神として崇める思想であり、漢朝が掲げる儒教と相反する思想であった。黄老思想のシンボルカラーは黄色である。これは、天の思想に基づき、天にはそれぞれのシンボルカラーがある。さらに、儒教の天は昊天皇帝であり、シンボルカラーは蒼である。つまり、黄巾の叛徒が取って代わるのは儒教であり、転じて儒教に基づき政を行っている漢朝といった具合になるのだ。
 以上のことから分かるように、叛徒たちが黄巾を巻いたのは、宗教的、思想的な意味合いが第一であり、転じて漢朝打倒の意味合いへと繋がっていったのだ。つまり、黄巾の乱は儒教への挑戦と解釈することができるのだ。

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