おせっかいちらし

とっても大好きな人がいます。友達です。
その人と、この画家の展示会行きたいね〜という話をしていて、結局私は行けず、その人だけ行ったのですが、なんとお土産を貰ってしまったのです。
手紙型に包装された、ティーバッグふたつ。柑橘系の紅茶でした。私は紅茶が好きで、とてもとても嬉しかったです。

私はお土産という概念そのものが好きです。内容は何だって良いのです。その人が旅先での楽しさや幸せを私に持って帰ってきてくれる、私のことを覚えていてくれるということがとてつもなく嬉しいのです。

その包装をどきどきしながら開けた時、紅茶以外に、紅茶の美味しい淹れ方や、他の商品が載っている小さな紙も一緒に入っていました。その紙の中に特段大きな文字で、大切な人のために、というような言葉が書かれていました。私はドキリとしました。きっと、その人はそんなことが書かれた紙が同封されていることに気づいていないことでしょう。その人が書いた文字ではなく、商品を企画した人(多分)が考えて入れたものでしょう。しかし私は、不覚にも舞い上がるほど幸せになってしまいました。
今までこのようなチラシを見ても、顔も知らないのによく言うなあとしか思っていませんでしたが、私に、という意識が強くなることによって、他人が(たとえ戦略であっても、)言った言葉もその人の言葉と錯覚してしまいます。悪いことではないと思っています。
今までの、そんな白々しい言葉を馬鹿にしていた私が馬鹿だったのです。嬉しい。嬉しい。純粋に。わざわざ白々しく幸せの言葉をかけてくるちらしに初めて笑いかけることができました。
言葉って、偉大です。本当に。

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