読み聞かせ、見せ。


幼稚園や学校で読み聞かせをしてもらった人、たくさんいると思います。

私は母と私の一対一で、一緒に本を覗き込む形で読み聞かせてもらうのも好きでしたが、一対大勢で、前に座っている本をみんなで読み聞かせてもらうのが別段好きでした。
何が違うのと言う点ですが、私は本の内容よりも注意していた部分があります。(もちろん、内容も重要です)
本の読み聞かせなのに内容以外にそんなところがあるのか、と言う気はしますね。

一対大勢での読み聞かせの何が良かったのか。
それは、本をみんなに見えるように持っている手が、好きだったのです。また、その手で押さえられている本のページの形や、その時に出る音も好きでした。
みんなに本を見えるように持つと言うことは、本を180度しっかり開かなければいけません。
また、本をなるべく隠さないよう注意しなければなりませんし、片方の手ではページを捲らなければなりません。そこで必然的に、片手が本の見開きの真ん中の下、本の内側に、本を抑えるための指が来るようになります。
読み聞かせる本といえば当然絵本です。
そして大概の絵本はハードカバーです。なので、片手で本を押さえるとそれなりの力が加わります。そのときの本のぎし、というような音が好きだったのです。ぎし、と言う音は私を本の世界から現実に引き戻しました。私はそれが嫌ではありませんでした。力む指先も、押さえられたところから広がるようになるページも好きでした。

また、朗読のもつ独特の雰囲気も好きでした。
読み聞かせの際には、声に抑揚のある人がいました。無い人もいました。
そのどちらにも含まれる朗読独特の安心感。合間の息継ぎ。きっと朗読の際の声と、普段喋るときの声は少しばかりでも違うと思うのです。喋るときの声は声が通る、とか、声が小さい、などと言う問題では無く、なんだかどこか不安を感じます。(不安を感じると言うより、安心がないだけかもしれません)
しかし朗読の際の声は、抑揚があるにしても、ある一定の安定の上に抑揚があるような気がするので、とても安心するのです。
口調も当然違います。(それはとても丁寧で優しく、いつも私たちに寄り添ってくれます)
絵本の、私たちのために作られた優しい、或いは悲しい、また或いは成長のきっかけになるような本を、淡々と聞くと言う行為が好きだったのかもしれません。

1番好きな絵本は何だったでしょうか。覚えていますか。なぜ好きだったのですか。絵が気に入ったのでしょうか、話が心に染み込んだのでしょうか、特別な人が読んでくれたのでしょうか。絵本一冊をとっても、人それぞれこもった想いは違います。

私は、読み聞かせの際の周りの現象が好きだったようです。そうだったんですね。

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