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「ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方」伊藤洋志

 専門化した1つの仕事から離れられずに汲々とした生活をするのではなく、アマチュアでも良いから生活や成長の実感を持てる仕事から少額の報酬を得ることを複業やって生活していこうと奨励する本。コロナ禍前に刊行された本だけど、今の副業・複業トレンドに見事にマッチしているように思われます。

 御多分に洩れず私も副業に興味があるし、自分が携わっていて実感の持てる仕事をやるべしという筆者の主張にはとても頷けます。ひとつひとつの報酬は少なくてもそれを複数やればいいじゃないというのも、わりと共感。というか、起業し、事業が黎明期にいる人はそうやっていますよね。「プロ」にならなきゃいけないと思うからタコツボ化した職務の中で行き詰まるのであって、アマチュアでも良いから事業の全体感を見通して働く方が気持ちよく働けるし、それでも生きていけるよというメッセージには、多くのサラリーマンの軛を解放する役割もあるかもしれません。

 ちなみに、副業の前段階としてポイ活はやっています(笑)だけど、ポイ活は所詮企業戦略の中でうろちょろしてるだけなので、明日会社が倒産しても稼げるナリワイ(たとえば、筆者が何度も例に出す床張りの技術とか)とは全然違います。
 手作りの結婚式の企画を年2回やったり、自分がモンゴル旅行するついでに現地集合こツアーを組んだりなんてのは、本業と通勤に多くの労力を割いている私にはどだい無理な話。

 筆者も指摘しているように、私がナリワイ生活に一歩踏み出すには結構な覚悟が必要かな。「そもそも住宅ローンは必要か」など、そもそも論を考えてみれば支出はもっとシンプルに考えられるというのが筆者の主張で、自分はナリワイの実践例だと言います。
 こういう本の感想で一番やっちゃいけないと分かっていつつも言いたくなるのは笑、「筆者と私は違うから」ということ。読者の大半は、「だって筆者は京都大学卒業してる地頭の良い人でしょー?」と思うんじゃないかな?
 私は「だって結婚してないし、子供もいないじゃん」ということ。今の勤め人生活を手放して、妻子の分まで食べさせていけるだけの稼ぎと社会保障を得られるか?ナリワイでは都会に暮らせないけれど、体調を崩すことの多い子供に充分な医療的ケアを与えられるか?というのが二大不安。

 そう考えると、逆に言えば、従業員の人生や生活丸抱えで忠誠を求める昭和平成の企業分化は、サラリーマンをしていれば働けなくなってもある程度の生活は約束するよ、という社会保障制度への信頼があったから成立していたんでしょうね。
 働けなくなっても国や社会が面倒を見てくれない(=社会保障への信頼が崩壊)という日本では、ほぼ1つの企業で、ほぼ40年間勤め上げるというカルチャーは衰退して行くんでしょうねぇ。

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