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「新月が来る」夏夜咄十六夜〜ニ十夜

文披31題 その十六夜「窓越しの」 

それにしても、なんて粋な贈り物を投げて来たのか。あまりにも洒落たセンスと大胆な歌の投げかけには息を呑む。この風流なセンスにはどの様に対処すれば良いか、流石に想い悩んでしまった。万策尽きて粋な事が何一つ思い浮かばない自分にうんざりしていた。そんな時には師匠の口癖で「窓も開けず窓越しの月を見る事ほど野暮なことはないのだ」と、その言葉を思い出して素直に対処するのが正解なのだと思った。そうと決まれば素早く行動開始である。田舎の酒蔵の跡継ぎに連絡して大吟醸の四合瓶を4本注文して早急に送らせたのだ。師匠と半東さんには、いつも世話を掛けてばかりのお礼を兼ねてそれぞれ渡し、手元に一本残して雪乃さん用は箱の中に返歌のカードを添えたのだ。

贈られし儚き花火この身斬る 灯し(共し)語らん吟醸凍らせ |夢

これなら先日頂いた江戸切子のグラスに意味が添えられ使える。次のお教室の日、半東さんに「教室が終わりましたら雪乃さんに茶室を訪ねて欲しい」と言付けをお願いした。
お稽古が終わり程なくして雪乃さんが茶室にやって来た。
「この前のお礼に、お薄を一服差し上げたくてお呼び致しました。お時間は大丈夫でしょうか?」
「あら、嬉しいわぁ。わたし、
いつも暇ですのよ。お気になさらないで下さい。」
一服が終わり紫色の風呂敷に包んで置いた大吟醸を雪乃さんの前に差し出す。
「この間のお礼です。何にをしたら良いか思い付かなくて拙い物ですがお受け取りください」
「ありがとうございます。嬉しいです、遠慮なくいただきますわ。」
いつもより神妙な面持ちでそう言って雪乃さんは素早く受け取り帰って行った。私の短歌をどの様に受け止めてくれるのか落ち着かない時間を過ごしていた。


文披31題 その十七夜「半年」

その日の夕方に携帯電話が鳴った。雪乃さんからだった。
「今日か明日の夜はお時間いただけませんでしょうか?お店にご案内したいのですが、ご一緒出来ませんか?」
「いつでも夜は空いてますから私なら大丈夫ですが。」
「よかったわ、それならば夕方の六時に桜門の前にいて下さいね。お迎えの車出しますから待っていて下さいね。」
そう言うなり電話は切れた。有無を言わせない速攻である。しばらくは呆気に取られて佇んでいた。雪乃さんの思いも寄らぬ積極性に圧倒されていた。まさに、赤い撫子の花言葉そのものではないか。いかん、完全に呑まれている。冷静にならなくてはと思うが意識を整えるのが精一杯であった。しっかり完全に主導権を握られていた。開き直るしかないと腹を決めた。それにしても話しを交わしてからまだニ、三週間くらいの間に半年や一年もの月日が目まぐるしく過ぎたような思いに圧倒されているのだった。

文披31題 その十八夜「蚊取り線香」

一夜限りのはかない花、宵待草は夏の夕暮れを待って、月の滴が零れ落ちるかのような
黄色い花を咲かせます。
宵待草で思い出すのはやはり、竹下夢二が浮かんできます。獅子座で満ちる月の日に、ひとつずつ身体が溶けて行く。その度に月から贈り物がとどく。それは心の中に感性と言う今まで見えなかった感覚が降ってくるようなのだ。自分の心に正直に生きれば、すべてが少しずつ見えてくる。
季節は雨季も開けて昔の田舎なら「蚊取り線香」を焚いて夜の夕涼みと洒落込んでいたのだが今となっては遠い昔の風物詩として記憶に残るだけなのだ。
神楽坂はかつて花街として隆盛を極めた場所です。雪乃さんはタクシーで迎えに来た。車はその神楽坂へと向かう。車を降りてメイン通りから横道に外れて石畳の小道を更に奥へと向かう。まもなくひっそりと構える古民家を再生した趣きのある割烹料亭にたどり着いた。


文披31題 その十九夜「トマト」

うんっ?なんか出来過ぎていないか?何だか意思に関係なく事が進んでいく気がする。
これは偶然でないと思わず息をのむ。仕組まれているのではないのかと悟るが、意図が読めない?どのように対処するかが器量を問われる仕掛けであろう。おそらくは師匠が裏で絵を描いていると確信するも、しばらくは様子を見る事に徹して、昼行灯として踊るふりも一興かもしれん。師匠の差配なら腹を括るしかないだろう。しかしどこまでが師匠の筋書きなのか?計り兼ねていた。
雪乃さんのあの告白の歌は
演技とは思えないし、そこまでは貶める事をするとは露程にも思えないからだ。
私が疑い深いのか?少し腹立たしくも思うが、ここは素直に対応して誠意を込めて向かい合うことが最善の策だろうと思っていた。
襖が開き先付けの包丁細工で仕上げたひやしトマトと日本酒が瓶のまま運ばれてきた。
さぁ、いよいよ酒宴の開始です‥‥‥。

文披31題 そのニ十夜「摩天楼」

中居さんが冷酒を片口に二合ほど移してから江戸切子のグラスに注ぎ始めた。グラスが三個あるのが気になっていた。襖が開き料理が運ばれてきた。
「失礼します。」
すると、後から師匠が入って来た。びっくりして、上座を退いて慌てて横の席に移る。
「夢さん。驚かせてスマンな。手の込んだ事したようだね。スマン、スマン」
「まぁ、今日はこの前のお酒のお礼だから気にしないで遠慮なく楽しんで行ってくれ。」
と言って微笑みながら席に着くなり切子のグラスを持つ。
「さぁ飲もうか。」
しばらくグラスを交わし、いなせな新内節の咄しでしんみりとさせながらも笑わせる。この手のお題目は師匠でないと話せない。しばらくして徐に(おもむろに)師匠が切り出した。
「夢さん、このお店はどうだろね。気に入ってくれたら贔屓にしておくれ。」
「ここの爺様には昔、たいへんお世話にロマンのあるこの物件を見つけたのさ、二階から見上げる摩天楼の東京の景色も粋かもしれないと思ってね。それ以来のお付き合いでこの店に寄らせて頂いてるのさ。今夜はこれから寄り合いがあってそちらに顔を出さなくてはならんので失礼するが、ゆっくり飲んでおくれ」
「ああ、そうだそれと‥それとお店の雰囲気をしっかり観察してくれないか。」
席を立ちながらそう言い残して出て行く。なんとまあ、相変わらず忙しい人だ。通路から話し声が聞こえてくる。
「あら、師匠もうお帰りですか?」
「すまんな、他で用事があってな失礼するよ。」
「お車を回しましょうか?」
「いやいやそんなに耄碌(もうろく)してないさ、歩いて行くよ。あははは」
そう言って師匠は摩天楼に向かって消えて行った。
着流し姿が絵になっていた。

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