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「新月が来る」夏夜咄二十六夜〜三十夜

文披31題 そのニ十六夜
「深夜二時」 


初めて交わす宴で、なかなか解けなかった二人の気持ちも酒が進むうちに酔いと合わせて弛んできた。
「雪乃からね、お願いがあるの。この夏は一緒にいて欲しいの。どうしてもよ。そう思って師匠にお願いしたら‥‥」
「ちょっ、ちょっと待ってください。雪乃さん。順を追って話してくれませんか。」
さすがに彼も話しが唐突で掴みきれなかったので、話を折った。彼女も話しづらかったのか支離滅裂の話になっていた。

雪乃はお店を引き継ぐ話からよくよく考えたら案外真面目に大学、留学等の勉強に取り組んで来た事で青春を謳歌することもなかった。そんな思いが過ったのはどうやら本当らしい。
茶室前の彼の姿をしっかり覚えていてお稽古終わりに教師の半東さんにそれとなく尋ねた。それなら師匠が話しが早いわと、取り次いでくれた。
近々根津神社で茶会を開くからその時に引き合わせると愉しげに師匠と話しがまとまった。それからは雪乃は時間を惜しむように動きが早かった。卒業論文の制作もお店を済ませてから深夜二時位まで頑張って完成させて提出も早々と目処をつけて、九月卒業提出までのスケジュールをほぼ、こなしてしまった。

そんな経緯(いきさつ)は知るはずもなく夢だけが蚊帳の外だった。その何日か後に、とうとう桜門で夢と雪乃の出会いの始まりとなったのだ。

「師匠が言う事には、夢さんなら雪乃を上手く扱ってくれるからと承諾してくれたの。だから遠慮せずに大胆に告白したわ。不安だったのよ。でもね、返事が来て嬉しくて、すぐに電話したの。早過ぎたせいで師匠もビックリして急遽の今日のセッティングになったのよ。だから今でもドキドキしているのよ。」
雪乃はこれ迄のすべて話し終えて、やっと安心したのか笑顔になっていた。
「そこまで念入りとはね。師匠はやる事に卒(そつ)がないですからね。本当に私で宜しいのでしょうかね。喜んでお受けしますが。」

なんとも、ややこしくも話しが着いてほっとしたのか笑いが溢れていた。


文披31題 そのニ十七夜
「鉱物」 


「あなたの事、もっと知りたくなったの。」

十六夜の夜に彼女の住むマンションのベランダに出て煙草に火を点けながら何本か残ってた線香花火をとり火を点けて眺めていると凍るような冷えたシャルドネの入ったグラスを差し出して彼女が不意に甘えるように言い出した。

彼女と知り合ったのは三ヶ月ほど前の事で親密になってひと月以上は経っていた。
「人の事なんてそんなに知らないほうが良いのだよ。」
「あの素敵な満月を見ていたらいっぱいあなたの事を知りたくなったわ。」
「満月の夜が綺麗なのは一瞬ですよ。あの満月さえもすべての半分しか見せてないからね。然もこうして遥か彼方から眺めているから綺麗なのさ。」
意外と場が読めない男てある。
「でも、知りたいのよ。」
甘えるように言う。
「思い出してごらん出逢ったあの日の夕方の事を、あの時は夕闇せまる西の空に妖しくひかる三日月があったのをさ。それを見て君は『あの三日月が大好き』って言ったよ。」
「覚えているわ。そうでしたねえ。」
苦笑いしている。
「三日月はね、月の本当にほんの僅かしか見せてないのさそれだから人を惹きつけるのですよ。あの夢二が好きであった宵待草でさへ日が沈んで暗くなってからひっそりと咲くのだから‥しかも、月が見られるかなんて分からないからね。"ほのかな恋"か"移り気"とかつけられた花言葉があるけどね移り気なのは月の方ですよね。
月の事は手の届かない遥か遠くで耀いているから素敵なのできっと、側へ行ってすべてを見たら鉱物ばかりでザラザラの岩ばかりできっとガッカリすると思うけどね。」
‥‥
「君は少し酔っているのですね。」
優しく呟くが相変わらず空気の読めない野暮な男である。
会話は暫し(しばし)のあいだ途絶えた。

饒舌(じようぜつ)なのは、夢の方であった。久しぶりに飲み過ぎていた。雪乃は程よく酔って甘えていたいだけなのだ。
ふたりは手を絡み合って奥のベットへ眠りを誘う。指先が雪乃の胸のボタンを絡めていく。そっと心の紐を解きほどくように。

花火散るたどる薄やみ指先の よせる血潮の想い解くまで 

時を止め指先つたう夜の舞 獅子座の月に帯を解かされ

朝のような爽やかな風もなくエアコンの尖った乾いただけの風を感じる夜が静かに落ちていく。ふたりは夏の真っ最中に身を投げていた。


文披31題 そのニ十八夜
「ヘッドフォン」


十六夜の月が蒼白く煌いている。夏の夜にあの月もゆっくり、ととどまる事なく確実に新月に向かっている‥。
ふたりの燃える想いは消そうとも消せない真夏の恋の線香花火のようにいつ爆発するのかと思わせながらチッチッと燃え上がっているのだ。それでも満月から一歩ずつ新月に向かう。いずれふたりにも訪れるその時など知らずに静かな月夜が過ぎて行く。

携帯電話が鳴っていた。彼は気付かずにヘッドフォンを掛けて音楽を聴いてる。ミュートしてある携帯電話が立て続けになってようやく気付いた。師匠からの電話だった。
「休みの日に済まないね。今夜は何か予定があるかな。それが聞きたかったのだよ。」
「今夜ですか。私ならいつでも大丈夫ですが、師匠の方がよく分かってる筈なのですが、何でしょうか?」
「いや、何ね。根津の鮨屋で飲もうと思ってさ。付き合って欲しいのさ。」
「分かりました。ありがとうございます。ご馳走様です。何時に伺えば宜しいですか。」

師匠の行き付けの店は決まっている。そのひとつの鮨屋なので夢も何度か連れて行かれて知っている。七時を少し過ぎてその店に着いた。
師匠はカウンターでビールを飲んでいた。隣に座りビールを注文した。師匠はタコぶつとヒラメの縁側をつまみで飲んでいる。
「すまんね。呼び出したりして。まぁ、一杯やっておくれ。」
そう言って板長さんに目配せをした。しばらくすると中居さんがやって来て告げた。
「ご用意ができましたから、どうぞおいで下さい。」
それを聞いて奥の座敷へと向かった。

「純米吟醸の冷をたのむよ。」
そう言って師匠は日本酒に切り替えてた。
「酔う前にな、大事な話しだから済ませて置きたいので言っておくよ。」
話し方が変わって、いつもより声が低い感じになった。
「じつは雪乃さんの事なのだが、あの店の後継者になるのは夢さんも知っての通りだよ。それが突然話しが進み九月になると京都の老舗に住み込み修業に行く事になったのさ。せっかく知り合った夢さんなのだが、この際は、きっぱりケリを着けなくてはならん。私がお膳立てしたので後始末もしっかりしないとね。まぁ、そんな話しなのだよ。わかってくれるかな。」
師匠にしては少し苦しげな話し方であった。決して嫌とは言わせない凄みに夢は何も言えずにいた。
「そんな事で話しがとんとん拍子で進んでな、直ぐにとなってしまったのさ。あの店は旦那さんが板長として板場を仕切り奥さんがお店を回す伝統なんだ。だから祖父さんがその老舗の板場で仕上がった手前孫娘もそこで仕込まなければと話をつけてしまった。そしたらその老舗の次男坊がそろそろ腕が仕上がるからってな事で養子にどうだと言う筋書きだ」
「酷な話かもしれないが、それが世の中が上手くいく話でな、板場の業界では師匠の言う事が絶対でよほどの事がない限り話は覆る事はないらしい。夢さんと雪乃さんの気持ち次第ではあるがな。」
ひと通り言い終えて酒を口に入れた。少し辛そうに見えた。
「師匠。少し考えたいのですが2、3日時間を下さい。」
そこまで言うのが精いっぱいであった。しかし、夢にはこの日が来る事は薄々感じていた。折り合いを付ける時が来たのだ。
「そうだろうな。分かっている、そうしょう。」
「それと、お店を見ておくようにと言ったのは、雪乃さんが継ぐとなると改装しなくてはならないから頼もうと思っていたのだが、忘れておくれ。騒がしてしまってスマン。」
「そんな事は何でもありません。インテリアは専門外なので頼まれても知り合いを紹介するだけですから。」

師匠にご馳走のお礼を言って外に出てタクシーを拾った。


文披31題 そのニ十九夜
「焦がす」 


夢は自分の考えの幼さに辟易としていた。人生の季節の変わり目なのだと知り胸を焦がす辛苦を味わっていた。
よくよく思えば雪乃にしてもこの夏までの自由時間を過ごすのが前提条件ですべて織り込み済みだった。それを忘れて未来を追う気でいたのだ。その不覚を師匠が読み取っての昨夜の叱咤の酒宴だったのだ。
師匠の思い遣りが分かり自分の情け無さに落ち込んでいた。

夕方になり師匠に会いに行くので支度をしていた。すると電話が鳴った。雪乃さんからだった。
「いま成田に居るの。何も言わないでごめんなさい。これから卒業式とお別れパーティがあるのでロンドンへ行くわ。あちらの住まいも引き払って来ます。月末か月初めには戻るわ。帰ったらその時にお話しがあるの。」
そう言って慌ただしく電話は切れた。

師匠は茶室に居た。
「おおっ。夢さん待っていたよ。今日は私がお薄を点てよう。」
そう言って、自らお点前を始めた。師匠がお点前をしてくれるなんて滅多にない事だから緊張した。すると半東さんが躙り口(にじりぐち)から入って来て横に座る。
「今日は無礼講だから緊張しなくていいよ。夜咄の雑談と行こうや。じゃないと話が進まん。」
すると半東さんが水屋に戻りお茶碗を持って師匠の横に置き戻って座り直した。
「お茶でいいかな」
半東さんは笑い顔で首を縦に振る。

夢は最初に師匠に詫びた。そうしないと身の置き場がなかった。
「サムライはつらいのだよ。もう今の世では時代遅れなんだろうけどね。」
そう言う師匠の顔は寂しそうに見えた。
そして本題へと話しが進むと夢は話を遮り昨夜の自分の思った話をした。すると師匠がうなずいた。
「うん、うん概ねそれでいい、よくぞ分かってくれた。大人になったな。」
後はもう師匠と半東さんを交えての夜咄茶会とはほど遠い雑談会であった。

帰る時になって、師匠から呼び止められた。
「大事な事忘れとった。私の名代で富山県に行って欲しいのだよ。詳しくは明日話すから。」

次の日は師匠からお昼を蕎麦屋に誘われて昨日の富山の話を聞いた。


文披31題 その三十夜
「色相」


曇り空の季節で雨が控え室でお化粧してる。きっと、雨の出番になれば降るように言の葉が溢れて紫陽花が咲き始めます。そんな梅雨の色相の変化する季節の交差点で雪乃さんと初めて出会った。ひと夏の夕立ちのような出会いで、ふたりは未練を振り切りお互いの道を進んだ。
あれから何年が過ぎたのか思い出せない。雨の降る根津神社の桜門の下で雨宿りしていた、雪乃さんとの煌めく日々は雨に咲く可憐で静かな佇まいと内に秘めた燃えるような想いの影を残していた。そこには山紫陽花が今でも静かに咲いているだろうか。

富山市にある護国神社は富山県出身の明治維新から大東亜戦争までの戦没者を祭神としている。師匠の名代で奉納を済ませて急ぎ八尾町の宿にタクシーで向かう。江戸時代からの旅籠と聞いていた。毎年この祭りを訪れている師匠が何故あの年だけはに私に行かせたのか、日々が過ぎ思い起こせば師匠の思いやりなのだと解る。

立春から二百十日の日にこの祭りは始まる。中秋の名月になる月齢の新月を挟んでこの「おわら風の盆」が始まるのだ。
町の通りに時代を思わせる威厳ある旅籠の玄関を入ると広いロビーを思わせる板敷の広間がある。そこだけ吹き抜けで畳一枚程の囲炉裏が組まれている。風情のある趣に感心していた。中居さんがその囲炉裏の際(きわ)に案内してお茶とお菓子を出して宿泊用紙を出した。
「昨日からお祭りでしたが、あいにく雨でしたので今日が初日みたいなんですよ。」
と言いながら書き上がったのをみて下がって行った。少ししてこの宿の主人が現れた。
「いらっしゃいませ。駅に着きましたら、ご連絡下さればお迎えに伺いましたのに失礼いたしました。お疲れでしょう。ごゆっくりなさって下さいね。」
「ところで、お師匠様はお元気でしょうか。毎年必ずお見えになってご贔屓にしてくれてる古くからのお客様なんですが、何日か前にお電話頂き今回はお弟子様が行きますからと仰ったのでお待ちしておりました。お師匠様のお元気なご様子を伺い安心しました。それではいつものお部屋にご案内致します。」
「ああ、そうだ。お連れ様は先程お見えになられて町を散歩して来ると言ってお出掛けになりました。」
えっ、お連れ様って何んの事だろう。訳も分からず二階の道路が見える部屋に通された。すると自分の手荷物を遥かに超える大きなキャリーケースがあった。よく見ると航空会社のシールがあちこち貼ってあり誰なのか察しがついた。風呂から上がり部屋に戻ると浴衣姿の雪乃がいた。ただいまと言うなり抱きついて来た。後は続く言葉が無かった。

最終日の夜は宿の主人のお誘いで囲炉裏を囲み爆ぜる枯れ木に煙されながら話を弾ませていた。いつもより酒はすすんでいたが酔えずにいた。雪乃は酔って私に寄り掛かってうとうとしていた。
私はタイムスリップした雰囲気に心惑わされ夢見心地の雰囲気に興奮したのかも知れなかった。夜中に寝つかれず窓を開けて町流しをする地方(じかた)の胡弓の泣くような哀しい音色と、三味線の響きは胸の奥を揺さぶる。揃いの法被と浴衣に編笠で顔を隠した踊り子が静かに流し歩いてる。この雰囲気のもの悲しさに巻き込まれていく様であった。隣でいつの間にか雪乃も見ていた。涙が光った様にも見えたが横を向きながら寝床に戻って行った。踊り子達は地方(じかた)を引き連れ流し歩き、終わりを告げる朝日が差すまで踊り続けているのだ。

夏が往く逢瀬かりそめ風の盆
想い焦がした燃え滾る夜

風の盆心揺さぶる胡弓泣く
去り行く君の涙と流る

町流し叶わぬ恋の送り火か
風と涙で踊りし夜明

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