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猫にこんばんは

神田川沿いの遊歩道には、所々ベンチが設置されている。
場所に拠っては植栽され――多分桜だったように記憶しているが、木陰の下(もと)一休みできるスポットがある。私は、珠にそのスポットのひとつに行く。

目的は猫だ。

目的と言っても、何のことはない、御猫様にお相手願いに行くのだ。そして、私は彼らの前に従順な下僕を演じる。

断っておくが、私は野良に餌付け/給餌はしない。かわいい猫たちにエサを与えることで、己の寂しさを紛らわせるなどの、利己的欲求を満たすようなことはしない。
そして、私はこれでも社会人である。一般的な常識は弁えて生きている自負がある。野良に餌付けなど、とんでもないことであると、自覚している。
だから私は野良に決して餌付けを行わない。そこの野良たちに、または猫に限らず何処のものに対しても、それは変わらない。

そして、もし、そちら側の皆さんの内に、野良に餌付けしている方があれば、それは絶対に止していただきたい。
餌付けするならその野良を引き取り飼い主となり、責任を持って終生飼い続けていただきたい。
つまり、飼う気もないのに、ただ可愛がりたいという理由で、無責任に野良に餌付けをするなど、以ての外の事とご承知あって然る可き、と言う事だ。
甚だ説教臭くなって仕舞い申し訳ないが、そこのところよろしくどうぞ。

さて、ここの猫たちは、特定の飼い主のないという点では野良なのだが、所謂「地域猫」と呼ばれる猫たちだ。だから彼らは、皆大概片耳の先が小さく欠けている。

また、そのスポットだが、木陰と言った所で、鬱蒼と茂る森林の作り出すそれとは明らかに違う、精々が数本程度の木々が落とす影だ。夏の日差しは多少和らぐかも知れないが、涼を求むるには余りに心許なく、猛暑日には無力である。
そのため、私は夏にその場を訪問することは今までなかった。

ところが先日の夕刻、偶々近くを通る機会があり、暑い中少し遠回りして、その木陰のベンチに猫たちを訪ねてみた。
ここの猫たちは大概人懐っこい。ニンゲンが来たと見るや、足元に纏わり付き、撫でて撫でてと催促する。ベンチに座ると横に飛び乗ってくる。そうして中には、膝に乗ってきて丸くなり、目を閉じてお眠りモードに入るものもある。

果たして猫は一匹もいなかった。

ベンチに腰掛け周りを見渡すと、以前は見かけた何処の誰かが持ち込んだであろう給餌用の皿(困ったものだ)も見かけなかった。
もしかすると、ここの猫たちはこの場を去ったのかしらと考えた。
その時、ベンチ後方の植え込みの茂みからカサッという乾いた音が一瞬聞こえた。

見ると茂みの中に一匹の茶虎がいた。
暑いから動きたくないのだろう、うずくまってジッとしている。
今どきはまだ、夕刻と言っても陽があり、気温も30度。無理もない。猫に夏毛はあるのだろうか。あったにせよ、あの毛深さで汗腺も持たない彼らである、この猛暑の中では焼け石に水だろう。
そんなことを考えている私の方でも大分暑気にやられて汗ばんできた。退散時だ。

そして、猫にこんばんはと挨拶し、もう帰る旨を伝えた。

それが、茶虎の律儀な返事なのか何なのか、猫語を解さない私にはその意味が分からないが、彼は小さくニャアと一言呟いた。

この暑さがあとひと月は続く。がんばろうな。

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