見出し画像

Where the boys were


コドモの嘔吐は可愛らしい。例えると猫の嘔吐に似ている。あんな感じ。「ゲヨゲヨ」と力なく戻すんだ。
嘔吐している本人は堪ったもんじゃない、呑気なこと言うな、と批判されそうな話しだけど。まあ、コドモの嘔吐は可愛らしい。

コドモの嘔吐「は」と書いたのは、可愛らしくない他の何かが居るってことだ。言うまでもなくそれはオトナだ。ありゃ駄目だ、駄目。全く駄目。

誰しも経験があるだろう。幼い頃は皆が寝静まった真夜中はとても恐ろしい時間だった。魑魅魍魎の跋扈する得体のしれない未知の領域、そんな真夜中にふと目覚め、尿意を催すことは絶望でしかなかった。
幼い私には一縷の望みがあった。酔っ払って夜中遅くに帰宅した父である。いつもじゃない。たまになのが悔やまれた。しかし一縷の望みはあったのだ。
そのタイミングで父の帰宅があれば、私は脱兎の如く寝床を飛び出し階下にあった便所を目指したものだ。すると大体いつもそこには便器に首を突っ込む形で嘔吐する父の姿があった。

「ゴォー」とか「ンガー」とか嗚咽とも咆哮ともしれない奇声を上げ、その口から胃の内容物を容赦なく、しかも物凄い勢いで便器へ放出している。幼い私は尿意も忘れ、その姿を眺めながらいつもいつもこう思った。

かいじゅうだ

幼い私は正直少し怖かった。恰もジェットの勢いで胃の内容物が放出される様は、まさにウルトラマンに対し、怪獣が口から放出する必殺技のビームや火焔のようであった。
同時にブラウン管の向こう側の怪獣は馬鹿だなと思った。火を吐く暇があればこれをやればいいのにと。誰だってあんなものぶっ掛けられたくないし、流石のウルトラマンだって地球の平和擲ってその場を退くだろうと。

やがて火種の尽きた「かいじゅう」は、幼い私に振り向き「おう、なんだ小便か」とひとこと投げかけて口を漱ぎに便所を出て行く。マックスであればこの「かいじゅう」を従えて楽しいひと時を過ごしたであろう。マックスでもなくそうはなれなかった幼い私は一頻り用を足すと一人寝床に戻り朝を迎えるのであった。

そんな私も成長し一丁前に飲み会の席に着く機会を得るようになる。同席の誰かが気分が悪いといえば便所へ付き添い介抱するということもあった。そんな時いつも、嘔吐する何某彼某の背中を擦りながら幼い私の感受性に感心しこう思う。

やっぱり怪獣だ

前述通り、幼い私は勿論マックスではなく、残念ながらマックスになることもなかった。

そんなマックスになれなかった私も今や「かいじゅうたちのいるところ」で、数多いる「かいじゅう」の一匹である。そうしてウルトラマンを退治する勢いで、夜な夜な口から汚物を放出するのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?