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大学時代のこと(その2)

1985年当時、伊丹空港には国際線ターミナルがあった。チェックインカウンター前は雑然とした雰囲気で、午前はアジア方面の便が集中していたことから混雑していた。バックパックに必要最低限の荷物を詰めて、キャセイ・パシフィック航空の香港行に搭乗した。途中、台北を経由したため、機内食を二回食べられたことを単純に喜んでいた。14時過ぎに香港の啓徳空港に到着。次のロンドン行フライトまで10時間近くあったので、市街地へ出てみることにした。バスとフェリーとケーブルカーでビクトリアピークまで登って香港の中心を一望した。天候はあいにく小雨、眼下の街はうっすらと霧がかかり、肌寒く感じた。高層ビル群に圧倒されたが、市街地に戻り、香港出身のロウィナ・コルテスのミュージックテープを買って空港に戻った。

ようやく23時過ぎのロンドン便に搭乗したが、右隣の窓側席にマンチェスター出身の若いビジネスマンが座っていた。話しをしようと試みたが、緊張で会話もほとんど弾まず、「食事後、コックピットに行ってみないか」とせっかく誘ってくれたのに、なぜか断ってしまった。途中、給油のためバーレーンで全員降機。キラキラの金製品に圧倒され、中東の人々の真っ白い衣装に異国を感じた。ロンドンに到着する段になり、初めて空港が2つあることを知ったが、どちらに到着するのか確認すらしていなかったことに気づく始末だった。翌朝、ガトウィック空港に到着し、バスでロンドン市内に入り、ユースホステルを探すことから旅がスタートした。

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