宗教的意識について
前回お話しした誰もが持っている「宗教的意識」についての続きです。宗教的意識とは「エゴを全体性に溶かし調和させる意識」と書きましたが、ここで「個」と「全体」の関係を考えてみましょう。
「個」が集まったものが「全体」でしょうか?それとも「個」の対極にあるのが「全体」でしょうか?どちらも一つの見方だと思いますが、これだけでは何かが欠けているように思います。
私たち一人ひとりは自由な「個」であり、それぞれが何物にも替えられない命の尊厳を持っている存在です。でもこれを認めてしまうと、各個人が自由に生き(過ぎ)て、秩序が乱れ、調和のとれた社会運営ができないかもしれません。だから「全体」のために、多少の犠牲が必要であり、法や規則により「個」を規制する。これが、今の市民社会の基本的な在り方だと思います。
「個」と「全体」の綱引き。社会システムとしては「個」は無政府主義であり、「全体」は全体主義(又は共産主義)ということになるでしょうか。そして実際には、綱のどこかの位置に政治体制を築くことになるのです。そしてそれ以外には選択肢がないように思えます。
でも、これはエゴを中心とした「宗教的意識」のない社会での話なのです。エゴ中心の社会(現代社会)では「個」と「全体」は外的な関係であり、綱引きの関係(⇔)になります。しかし、「宗教的意識」をもった個人の集まった社会では、「個」と「全体」は内的な関係となり、同一中心円の関係(◎)になるのです。そしてそのときは、「個」と「全体」で対立関係は生まれません。たとえば自分を「個」、恋人、こども、家族、親友などを「全体」とすれば、全体の幸せのために考え動くことと自分の幸せが一致するイメージが湧きやすいのではないでしょうか?
「宗教的意識」を持つことは理論上は決して難しくはありません。「全体と自分は分離しているという幻想」を除けばいいだけです。ただ実際には、その「除く」作業がなかなか難儀するのですが。。。
まずは、あなたの「個」と社会「全体」、世界「全体」、宇宙「全体」、神、仏、ハイヤーセルフとの距離は思っているより近く、あなたの誤った思考のヴェール一枚分だけしか離れていないことを知ることから始めましょう。
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