今し方

 トータス松本「Got You Osaka」をラジコプレミアムで聴く。日曜日の昼下がりゆったりとした気分でパソコンで作業をしながらの贅沢な2時間だ。
トータス松本さんが好きだ。いや、ウルフルズが好きだ。いや、やっぱりトータス松本が好きだ。
 ウルフルズが好きになったのは中学2年生だったような3年生だったような。
その当時斜に構えていたこともあり(今でもその名残がある)「歌なんて、どうせ恋愛ソングばっかりだろう?やれ『あなたが好き』やら、どれ『君が必要だ』とか。オリコンランキングもそんなのばっかりじゃん」と思っていた。歌というのはそういうものであるからいいのだが。あの時の僕はとんだ勘違い野郎だった。説教してやりたいと思う。
 そんな中でウルフルズの『ええねん』が不意にテレビから流れてきた。衝撃を受けた。だって『ええねん』しか言ってないのだもの。
 「あ、これも歌だ」と思ってからはウルフルズ一辺倒の思春期を過ごすことになる。(それで短大時代にギターを始めてバンドを組んで保育士になってからも仕事で使っているのだから、人生というのは繋がっている)

 その後はトータスの作る歌にシンパシーを感じながらトータスの言葉も一緒に浴びることになる。いつだったろう忘れてしまったがトータスはこんなことを言っていた。「かっこ悪さのかっこ良さを知れよ」と。この言葉は僕の心の一番深い所に根付いている。誰がなんと言おうと自分が信じたことを一生懸命やっていけということだと最近思う。

 先日トータスさんと親交のあったKANさんの訃報を知った。僕はトータスさんがラジオでどんなことを喋るのだろうか?心が落ち込んでいなければいいなと構えていた。

 当たり前のようにKANさんの訃報に触れる番組構成。ウルフルズに出会って衝撃を受けて20年近く。トータスさんが「大丈夫」と思って話しているのはわかっていた。それに対して聞いてる側は何も深読みせずに「そうかKANさんとそんなことがあったのか」と聞いていればよかった。そして生歌。もちろんKANさんと関わりが深い「僕がついてる」KANさんがこの曲を好きでトータスと一緒に歌ったこともある楽曲だ。
 この曲は以前トータスさんが飼っていた愛猫の『ソウジ』が亡くなった際に手向として作られた曲らしい。その際もラジオの生歌で歌って泣いていた。
 
 今回もそう。涙を堪えられないように歌っていた。
僕も泣いた。一緒に泣いた。KANさんとの思い出が想像できたから。ラジオのいいところは場面の想像をこちらに委ねてくれるところ。多分本人たちによる実際の思い出と僕の思い描いた思い出は違うものだろう。だが想像させてくれるのがラジオの良いところだ。

 涙ながらの歌を聞きながら、涙を流し考えていたのは、「僕は何をしているのだろう?」という物、ネガティブなことではあまりなく。「今僕のしていることってなんなんだろう?」と

 このnoteという場所で思いを書き連ねているのはどうしてだろう。別に日記帳に書けば良いじゃないか。
 実はyoutubeをやっている(カメラのことやプラモデルの制作模様、保育についてのあれこれを話している)のは何故だろう?別に1人で楽しんでいれば良いではないか。保育のことも職場の人と共有はすれど自分の知識として持っておけば良いではないか。
 何故SNSをやって写真を投稿しているのだろう?別に1人で楽しんでいれば良いではないか。もしくは近しい人と共有していれば良いではないか。

 多分、僕は僕が生きた証を残したいのだと思う。1人で楽しんでいれば1人で終わってしまうことも全世界に配信しているとなれば違う。全然見てくれる人はいないが、やっていることに価値はある。
 多分ネットの中で僕がこれから何十年後に死んだとしても僕の足跡は残ることになる。それが欲しいのではないか?と考えた。
 それならもうそれは達成しているだから辞めても良いじゃんと思うのだがそこは人間の欲深いところで「もっとたくさんの人に見てもらいたい、知ってもらいたい」と思ってしまう。なんとも情けない欲望だ。だけれどもそう思わないと僕は何もできない。

 トータスさんが歌い終わった後しばらくして、「亡くなった実感はないんですよ、だって今でも音源や映像は残っているから」と言っていた。まさに自分が歌を聞きながら思っていたことの答えだった。

 残しておくことは大切なのだと思う。
 記憶はいつか忘れてしまう物で忘れてもいいのだと思うが、しばらくは残しておきたい。そんな風に思うのは欲深いのだろうか?それは今の僕にはわからないが、きっと後悔はしないと思う。
 自分の信じたことをやりたいと思ったことを一生懸命にやる。
そう『カッコ悪さのカッコ良さ』なのだ。

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