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「思いやりは時に重いのか?」心に浮かんできた言葉(008)

こんにちは「てると大吉」です。
五月の風にゆれる柿の木。新葉がきれいです。

さて、ある人の「思いやりって時に重たいですよね。」という言葉を聞いてはっとしました。今日はこのことを書きます。

心に浮かんできた言葉(006)でお互いを「思いやる」ことの大切さを書いたばかりだったからでしょう。ふと逆を突かれたようにはっとした後、「あぁ、そういうことはあるかなぁ」と思いをめぐらせました。

「思いやりが重い」のはどんな時なのだろう。
最初に思いついたのは思春期ころの僕と親との関係です。
「心配してくれる気持ちはよくわかる。」「僕のことを思って言ってくれていることもわかる。」「だけど放っておいてほしい・・・。」と。

これは「時に重たい」にあたるでしょうか。
親鳥と雛鳥の喩えでいうと、まだ殻から出たくない雛が、親鳥に殻を外からつつかれている感じでしょうか。

また、心配性の僕が配偶者のことをいちいち気にするとき(いつもではないのですが)、彼女は僕のことを重いと感じているかもしれません。

そう言えば、「思いが過ぎると本当から離れてしまう」という言葉も聞いたことがあります。お互いが気遣いしすぎて、本当(現実)が見えなくなり、お互いが疲れてしまうなんてこともあるのでしょう。

ここまで考えたとき「不即不離(ふそくふり)」という言葉が浮かんできました。僕の好きな言葉です。「付かず離れず」の関係。それでいてお互いが自分らしく居られる関係。いいと思いませんか。

どういう人間関係を持ちたいかは、人それぞれ。理想とする距離感もそれぞれでしょうから、それぞれの答えがみつかればいいのだと思いますが。

人間関係だけでなく、何かに取り組むときも同じかもしれません。
そのものごとと自分との距離感が適当なとき(いい加減にするということではなく)ほど、いい仕事ができる気がするのですが。

なにごとも適当がいいのだと、妙に納得した僕でした。

なんかうまくいかないなぁと感じたときこそ、この適当を意識してみてはどうでしょうか。

めんどくさい話を最後まで読んでいただきありがとうございます。

GW、お休みの人もお仕事の人も、どうか良い一日を。

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