アーチェリーから教わったこと⑥国体予選敗退で気付かされたこと

高校生でアーチェリーを始めてからずっと、京都府の国体選手選考に出場してきました。
社会人で東京に行っても、結婚して広島に行っても、ずっと「ふるさと登録」をして出場していました。(なので、選手が使える上限である2回をフル活用していました。詳しくは割愛します。)

選手として復帰してから、3回目の国体予選。
1回目はまさか選手になれるとは…と戸惑ったまま栃木国体へ。
2回目の去年も僅差で選手になれて、鹿児島国体へ。
…本当はここで、もう京都の国体予選は出ないつもりでした。しかし、団体3位という結果が悔しくて、もう1度出て優勝したい!という思いから、今年も国体予選に出ることにしました。

結果は、5位。
選手になれるのは3位まで。
国体予選に出場して、選手になれなかったのは、休んでいた期間を除いて高校2年以来ということになります。
何なら去年より今年の方が練習もしていたし使っている弓の値段も高い。なのに選手になれなかった…。でも、意外と気持ちはフラットです。

試合が終わって気が付いたこと。
それは、「選手選考から落ちたらどうしよう」とずっと思っていた、ということでした。
でも、そんなことを思っても仕方ないから、ひたすら”美しい状態”になりたくて、「私が国体に行きたいのはエゴじゃない」と言い聞かせていました。
(人は、美しい状態でいるか、苦しい状態でいるか、で結果が違ってきます。またどこかで詳しく書きます。)

でもそうじゃなくて。
言い聞かせている時点で、苦しんでいました。

私がやるべきだったのは
・何のために国体(国スポ)に行くのか
・何のためにアーチェリーをするのか
・私はアーチェリーを通して何がしたいのか、何を成し得たいのか
を明確にすることでした。

たくさんの人に感謝をしていました。
試合に出られること、
練習ができること、
仕事の半分はアーチェリーに関することであること。
でも、後ろめたさがありました。

なぜ、後ろめたさがあったのか?
昨年・一昨年と出場させていただいて、とっっっっても楽しい試合でした。自分の技術が向上していくことも、メンタルが安定していくことも、アーチェリーという試合の独特の空気感を感じながら、たくさんの人に見守られて試合ができる嬉しさも、すべてありがたかったです。

でも、「私だけ楽しんで良いのか?」と思ってしまいました。
私がいない間、子供には寂しい思いをさせているかもしれない。
家族には迷惑をかけているかもしれない。
職場では私の代わりを誰かがしてくれている。
私の楽しさの裏には誰かの苦しみがある。
…ということを考え、不安になってしまいました。

去年までは「楽しい!」で結果がついてきました。
今年からは結果を求めて、楽しさを忘れていました。
子供に何を与えたいのか。
母である私がアーチェリーをすることで、子供に何を見せたいのか。
そこまでちゃんと考えて、自分なりに答えを出しておくべきでした。

去年まで、無意識で楽しんでいたことを急に意識し始めて、中途半端で終わってしまった。不安になる前に自分ともっと向き合うべきだった。


…そんなことを、この試合から教えてもらいました。
昔なら、悔しくてたまらなかったり、自分の不甲斐なさを悲しんだり、結果に落ち込んだりしたと思いますが、今はフラットに受け入れて、次に繋がることを考えられています。
20代のころなら、試合の途中でもう選手になれないと分かった時点で、自暴自棄になっていたと思います。でも、今回はちゃんと向き合って、試合の最後には何かをつかむことができました。そしてその後の練習で今後の成長につながるポイントを見つけることができました。これは私の成長であり、「心をフラットにする」ことを毎日取り組んだ成果だと思います。

乗り越える、とか、トンネルと抜ける、とかいう感覚ではなく、
波があって、その上に乗っている感覚
一時的に沈んだかもしれないけど、また上がってくるのが分かるから、落ち着いていられます。

波に吞まれないように
波に乗る
波を見極める
今やるべきことを意識的にやる。

これからもこの感覚を磨いていこうと思います。


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