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一統合失調症者の自分史 反省と後悔➂

三宅康雄

 寿一郎叔父はまたおぞましいものを見るような顔つきで「女を喜ばせる男なんて最低だゲロゲロ(ゲロゲロの部分は言葉ではなく声色)!」と叫ぶのです。廃人状態の私の頭でも、それが若い男が妬ましいから言っているという事は分かりました。この言葉は病人の私の頭に深くめり込み、私を支配し、呪縛するようになりました。妹の雅子にこの事を話すと、「普通の人だったら撥ね返しちゃうんじゃない。」と言っていました。しかし私は普通の人ではなく統合失調症患者だったのです。統合失調症の本質については色々な事が言われていますが、例えば精神の自律性の障害です。普通、当然、自律的なはずの精神が他律的になってしまうという事です。主体性の障害とも、心が自由を失う、心の不自由な人とも言い換えられます。平成2年2月の土曜の寿一郎叔父の言葉を借りれば、奴隷的な気持ちの人という事になります。

 寿一郎叔父は破壊的な事のみを言っていたわけでなく、建設的なことも言っていました。それは例えば「お前働けよ!」です。「お前のプアな頭で何を考えても無駄なんだよ。」「医者の言う事なんかより、俺の言う事を聞けよ。」とも。「お前働けよ!」というのは方向性としては正しかったかもしれないけど、正解そのものではありませんでした。本を読む事ができないという精神状態は非常に重い状態で、清掃員や運送員その他、どんな底辺のアルバイトもできない状態だったからです。

 私は高3の時、街を歩いていると何回か、自衛隊のスカウトマンに声をかけられました。私は自衛隊で働いた事がないからよく分からないのですが、多分厳しい仕事内容なのでしょう。私はデイケアで担当の川関先生に言いました。「自衛隊はどうか」と。すると先生は「君に自衛隊が勤まるはずがないじゃないか」と言いました。確かに先生の言う通りだったと思います。
しかし私が言いたかったのは、言わんと欲したのは、デイケアでブラブラゴロゴロしていても、精神の病が治るはずがなく、治るとしたしたら修行というか、労働や作業のような事をした時ではないか、という事だったのです。

 寿一郎叔父は東芝のパワーエリート、私は哀れな廃人、しかし、どうしたら治るのか、という肝心な点については、二人とも方向性としては正しくても、正解そのものには辿りつけなかったのです。労働のような事をするのが良いみたいだけど、それができない程、病気が重い状態、となったら、お金を払って労働するところ中野の鈴木診療所(入院森田療法)に入院するのがベストだったと思います。東大病院に通っていた私は途中、新宿駅経由で通っていました。新宿には紀伊国屋書店という大きな本屋さんがあります。そ
こで探せば鈴木先生の本が見つかったはずです。見つけられなかった私が不甲斐ないです。

  一浪の終わり頃、高3の時のクラス担任から電話がかかってきました。
「三宅、勉強しているか?」と聞かれたので「全然勉強していません。」と
答えました。それならば、と言う事で、クラス担任の先生が地質学の非常勤講師をしている立正大学に推薦入学で入学させてあげるという事になりました。またクラス担任のコネで倉庫のアルバイトをさせてもらいました。アルバイトはろくに勤まらなかったが、コネがあったので、首にはなりませんでした。

 こうして立正大学文学部史学科に入学しました。大学に入ってから、笠原
嘉という大変有名な精神科医の書いた「青年期 精神病理学から」という題の新書を読みました。そこには「ノイローゼの青年にとって、叔父さん、もしくは叔父さん的人物が、貴重な役割を果たすことがある。」という意味の事が書かれていました。私は女の子と付き合えないような片わものにされて、一体どこが貴重な存在なんだ、と思って首を傾げました。もっとも私は、自分の事をノイローゼと思っていたのですが、実際には精神分裂病だった訳ですが。

 私は立正大学を7年間かけて、卒業したのですが、人間は平等だというのか、私のような病人にも、結構可愛い女の子とお付き合いが始まる機会が、
7年間の間、3回自然に回って来ました。私が常識的対応をすればなんらかのお付き合い位始まったと思います。実際、私は内心ではその度に大喜びだったのです。しかし寿一郎叔父の一発お見舞いが頭にめり込んでいた私は、その度に、せっかくの機会をぶち壊すような非常識な対応をしてしまったのです。私は思います。女の子と何らかのお付き合い位しておく事ができれば
、どんなに素晴らしかったか、貴い体験になったかと。27歳でED(インポ)などという言語道断の境遇にならなかっただろうし。

 私が25歳位の時だったと思うのですが、豪徳寺に何かで親戚一同が集まりました。その時、たまたま浩靖叔父(寿一郎叔父の実弟)の次男坊のマーちゃんが高校に進学するところでした。寿一郎叔父はマーちゃんにソフトタッチな優しい声で、「男女共学なの?」と問いかけ、マーちゃんは「ウン」と可愛らしい声で答えていました。あの様子から推測すると、寿一郎叔父はマーちゃんには「女を喜ばせる男なんて最低だ!」といったたぐいの一発お見舞いは食らわせていないと思うのです。だからマーちゃんは普通の男の子の
ように、普通に女の子と付き合い、普通に成長し、普通の大人になっていく
ことができるのです。強きを助け、弱きをくじく。これが寿一郎叔父の生きる道なのです。

ここまで読んで頂いて有難うございます。      ④に続きます。









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